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【月刊『WiLL』(6月号)より】移民のせいでドイツが亡(な)くなる

2017/5/8(月) 9:00配信

WiLL

「人間が来ちまった」

 戦後、奇跡の経済復興を遂げたドイツ(西ドイツ)は1960年代、社会底辺の重労働を担う働き手として、外国からの出稼ぎ労働者を招き入れた。
 だが、当時、外国からの出稼ぎ労働者、とりわけトルコ人労働者がそのままドイツに居つき、巨大な移民コミュニティーを形成することは想定外だった。外国人出稼ぎ労働者は、故郷の家族に十分送金し、蓄えができればやがて母国に帰るものだと思われていた。しかし、そうはならず、「労働力を呼んだら人間が来ちまった」(劇作家マックス・フリッシュ)という悔悟に満ちた皮肉な警句も発せられた。
 戦後西ドイツ建国の父と呼ばれるアデナウアー首相時代の1961年10月、トルコとの間で労働者募集協定が締結された。この協定によって、西ドイツでの労働を希望するトルコ人は、雇用主によって旅費も支給されるという厚遇を受けた(もっとも、トルコへ帰る場合には旅費は自腹だった)。
 トルコとの協定に先立っては、イタリア、スペイン、ギリシャとも労働者募集協定が結ばれ、トルコの後にはモロッコ、ポルトガル、チュニジア、ユーゴスラビア、韓国などとも締結された。
 急激な復興の中、西ドイツの人手不足は実に深刻で、とりわけ工場の単純労働者や鉱山労働者の数が決定的に足りなかった。
 だが、西ドイツ政府は無論、ガストアルバイター(ゲスト労働者)と呼ばれる出稼ぎ労働者が移民化することを望んではいなかった。あくまで季節労働者として想定し、労働期間を限定し、一定の年数が経過すれば新規のガストアルバイターに交代する段取りを描いていた。母国からの家族の呼び寄せも禁止されていた。
 しかし、ガストアルバイターを短いサイクルで頻繁に交代させるのは経済効率が悪い。仕事に慣れた頃合いに交代させるのもノウハウの蓄積という点から合理的ではない、という企業・雇用主の意向を汲んで募集協定は改定され、労働期間の上限が取り払われたほか、家族の呼び寄せも容認された。

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最終更新:2017/5/8(月) 9:00
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