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沖縄でプロ、東京で大学生。J3琉球MF名倉巧、18歳が挑む前代未聞の二重生活

フットボールチャンネル 5/9(火) 11:57配信

 今年1月下旬、J3のFC琉球が公表した1人の選手の「内定取り下げ」が波紋を呼んだ。結局は無事に正式契約を結んだが、高卒選手の将来を大きく左右しかねない事態を招いた原因は何だったのか。そしてどんな決意と覚悟を胸にプレーを続けているのか。週の前半は東京で大学生、後半は沖縄でプロサッカー選手という前代未聞の“二重生活”に挑む18歳、名倉巧を直撃した。(取材・文:舩木渉)

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●琉球加入内定から5日後にまさかの「取り下げ」

 今年1月20日にFC琉球への加入内定が発表されながら、わずか5日後に内定の取り下げが明らかになった選手がいた。國學院久我山高出身のMF名倉巧だ。

 結果的に琉球はおよそ2ヶ月後の3月30日に改めて名倉との契約締結を発表した。1月25日の内定取り下げ時には「契約までの手続きや確認不足等、弊社に不備」があったことが公表されており、正式加入決定時には「クラブでの手続き不備により1月度での合意が出来ず、関係各位、ファンの皆様にはご迷惑ご心配をお掛けしたことを改めてお詫び申し上げます」との謝罪がクラブ公式サイトに掲載された。

 名倉本人は琉球加入が正式に決まった際、「専修大学での学業に励みながらのチャレンジとなりますが、期待に応えられるよう全力で頑張ります」とコメントしている。だが、専修大学には通信教育課程がない。

 琉球が本拠地にしている沖縄からどのようにして“学業”に励んでいるのだろうか。名倉本人にその話題を振ると、琉球加入に至った経緯を説明してくれた。

「プロの誘いがあれば高卒の段階で行きたいという気持ちがあったんですけど、そういう話がなかったので大学に進学して、その後プロを目指そうと思っていました。(進学が)決まってから(琉球入団の)話をもらったので、こういう形(加入内定取り下げ→正式契約)になりました。それが指定校推薦だったため問題になってしまって、大学には通わなくてはいけなくて、そうなったら通いながらやるしかないなと」

 指定校推薦とは大学や短大、専門学校などが実施している推薦入試制度の一つで、公私立問わず多くの学校で導入されている。一般的には大学によって指定された高等学校が、内部で進学希望者を選抜し、その後大学が面接などの試験を行って合否を判定する仕組みになっている。

 この制度は指定校となる高等学校と推薦枠を設ける大学側の信頼関係に基づいて成り立っている側面があり、指定校推薦を受けた生徒は大学による独自の試験まで進めば不合格になる可能性は極めて低い。そのため合格すると入学を断ることができなくなってしまう。仮に合格を辞退してしまうと、入学予定だった大学から、その生徒が在籍していた高校に対する指定校推薦枠がなくなってしまうことが危惧される。

●「大学も通いながらプロでやりたい人の例になりたい」

 名倉の専修大学合格は、一般入試よりも早く昨年10月ごろに決まっていた。そして今年1月末の加入内定と、その取り消しに至った。

 最終的に名倉は國學院久我山高サッカー部の李済華(リ・ジェファ)総監督や清水恭孝監督と話し合い、大学に通いながらプロ選手として戦うことを決断する。そこには並々ならぬ覚悟と決意が込められていた。

「元々自分はJリーグのチームで若い時からやりたいという考えでした。プロでやれる環境があるということですぐ挑戦したい気持ちだったんですけど、大学も通わなければいけないとなって、李さんや(清水)監督と話し合いました。

今まで(大学に)通いながらプロでやった人がいないから、自分が1人目としてそれを成功させれば、これからもこういう(大学に通いながらプロとしてプレーする)ことが続くんじゃないかと思います。新しいやり方を自分がやりきって、うまく沖縄と大学に通いながら、そこでしっかり結果も残していくことで、これから大学も通いながらプロでやりたい人の例になれればいいかなと思います」

 過去に大学へ通いながらプロとしてプレーした選手はほとんどいない。元日本代表の宮本恒靖氏はガンバ大阪のユースからトップチームへ昇格した1995年に同志社大学に入学し、6年かけて卒業した。最近では現浦和レッズの遠藤航が湘南ベルマーレ時代に神奈川大学へ通っていたこともあったが、世代別代表での活動や結婚などもあって2年で中退している。

 彼らは所属クラブから比較的近い距離にある大学に通っていたが、名倉はわけが違う。毎週飛行機に乗って東京と沖縄を往復しなければならない。それでも「(4年で)卒業できればしたい」と学業への意欲は非常に強い。

●逆境をプラスに変える思考力。厳しいスケジュールでもレギュラー確保

 現在の名倉のスケジュールは、琉球側の理解もあって大学生としてしっかりと通学できるよう組まれている。月曜日から木曜日まで1日4コマ授業を受け、木曜日の夜に飛行機で沖縄へ帰る。そして金曜日からチームに合流し、週末の試合に出場している。

 東京で過ごす月曜日から木曜日までは國學院久我山高と琉球でフィジカルコーチを務める三栖英揮氏のジムで体を動かし、ボールに触るのは水曜日に自宅近くの公園でのみ。専修大学サッカー部の練習に混ざることはできない。

 そんな厳しい状況でも信頼をつかんだ名倉は、デビュー戦となった4月1日のJ3第4節ガンバ大阪U-23戦に先発出場すると、いきなり2ゴールの活躍を披露した。以降も主力としてピッチに立ち続けている。

「今の時期はボールコントロールというより、フィジカル面で成長していくことが必要だと思っているので、そういう意味ではマイナスの環境をプラスに変えていければいい。火曜、水曜でしっかりとフィジカル的なトレーニングをして、技術的な面はこの年齢になったらそんなに落ちないと思っているので、ボールトレーニングもやりますが、一番はフィジカル的な部分で成長していけたらと思っています」

 他の選手たちと違い、満足にボールを蹴ることができない現状でも前向きに成長できる部分を探している。“文武両道”を掲げている國學院久我山高サッカー部出身だからこその考え方だろう。

「(琉球加入は)チャンスだと思いました。大学に通って4年間やって、プロに行けなかったら後悔すると思うので、話がある時にプロに行くチャンスを生かしたかった。國學院久我山で文武両道を3年間やってきたので、それをこれからも4年間続けていくだけの話です。それを実現させるのは難しいですが、やりきることが大事だと思うので、いまはこの状況で頑張っています」と名倉は力強く語る。

●前人未到の道を行く18歳の決意、そして感謝

 中学生時代はFC東京U-15深川に在籍し、3年次には10番を背負った。國學院久我山高では2年次に第94回全国高校サッカー選手権大会に出場し、トップ下でパスサッカーの中心としてチームをけん引してチームの準優勝に貢献。技術と判断力の高さ、ドリブル突破の鋭さで注目を集めた。

 主将として臨んだ3年次は冬の選手権の舞台に立てなかったものの、常に視線は上を見ていた。目指していた高卒でプロになることを叶えた今、改めて決意を新たにしている。

「高校の時とは違って、プロなのでみんな生活もかかっている。Jリーグの厳しさとかは学生リーグと違うと思っています。その中で自分がこの歳から経験を積んで、J3で終わる気はないので、J2、J1、海外でも活躍できるようにステップアップしていければいいと思います」

 Jリーグ25年の歴史の中で前例がない、プロ選手として戦いつつ東京と沖縄を行き来しながら大学を4年で卒業するには周囲のサポートも欠かせない。名倉自身、その重要性を十分に理解し、感謝を口にする。

「サッカーも勉強も両立できるのが國學院久我山だと思っていますが、それは1人ではできません。両親や友達といった支えてくれる人たちがいるからこそできることなので、感謝の気持ちを忘れずに結果で恩返ししていきたいと思います。今は自分にできること、目の前のことに集中して全力で頑張りたい。

これからどう、というよりは自分がチームのためにできることを最優先に考えて頑張っていきます。(東京と沖縄を行き来してほとんどチーム練習に参加できない)自分を試合に出してくれている琉球には感謝の気持ちしかないですし、結果で返したいという気持ちしかないです」

 18歳にして誰も挑戦してこなかった道に足を踏み入れた名倉。大学生とプロ選手を両立し、最後までやり通せれば、日本サッカー界の将来のために非常に重要な道標となるに違いない。真の“文武両道”への挑戦は始まったばかりだ。

(取材・文:舩木渉)

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最終更新:5/9(火) 16:29

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