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きなくさい時代に現れた亡霊たちとの闘い

5/9(火) 11:00配信

Book Bang

『蜜蜂と遠雷』で第一五六回直木賞を受賞した恩田陸の受賞後第一作である。受賞会見で恩田さんは「私は自分のことをエンタメ作家だと思っていて」と語り、作家としてキャリアを積むうちに「面白さ」の多様性に気づかされたと続けていた。『失われた地図』はその言葉通り、『蜜蜂と遠雷』とはまた別の魅力を持つ、恩田さんらしい作品だと思う。

 第一章「錦糸町コマンド」は、東京東部の街に三人の男女がやってくるところから始まる。カメラバッグを持った女性は鮎観。結い上げた髪に銀の簪を挿した男は遼平。折りたたみ式のレフ板を持った若い男は浩平。一見、タウン誌の取材スタッフのような三人だが、彼らは「裂け目」からやってくる「グンカ」たちを黄泉の国に送り返すためにやってきた。「グンカ」とは茶色っぽい軍服を着て大挙して現れ、ニューナンブの拳銃を発砲してくる者たち。旧日本軍の亡霊のようだ。浩平はレフ板を反射鏡にして彼らの攻撃を跳ね返し、鮎観は黄泉の国への使いである蝶をあやつり、遼平は簪を使って「裂け目」をざくざくと縫っていく。

 三人は風雅一族という血脈に属している。どうやらこの一族は、「グンカ」のような亡霊を見つけ出し、彼らがやってくる「裂け目」を閉じることを使命としているらしい。どこに「裂け目」が生じるかは同じ一族の「煙草屋」が予報するのだが、かつて戦争に関わりがあった場所に生じることが多いようだ。たとえば、錦糸町駅近くの錦糸公園は、陸軍の糧秣廠倉庫があった場所だという。物語は錦糸町を皮切りに、軍需工場があった川崎、彰義隊が戦った上野、戦国時代から権力闘争の場だった大阪、戦艦大和ゆかりの呉、二・二六事件をはじめ軍の関係施設が集中していた六本木と、さまざまな場所が舞台になる。

 モティーフになっているのは、土地が持つ歴史である。恩田作品には、すでに東京に堆積する死者の記憶を手掛かりにした幻想小説『EPITAPH東京』があるが、『失われた地図』は東京の外へも視野を広げ、地理的にも歴史的にも広い射程を取っている。

 土地には長い時間とともに、無数のレイヤーが折り重なっているのだが、「いま」を生きることに忙しい現代人に、そのことを意識している暇はない。いや、考えることがめんどうだから、ひたすら前を向いてスクラップアンドビルドを繰り返しているのかもしれない。であれば、「裂け目」とは、忘れられた亡霊たちが過去というレイヤーを引き裂いてできたものかもしれない。

 物語の語り手は、鮎観と遼平のどちらかが章ごと務める。二人はいとこ同士で元夫婦。俊平という小学校に上がったばかりの男の子がいるという複雑な関係だ。二人の関係も気になるが、遼平の甥である浩平や、元自衛官でレスリングの国体選手だったカオルなど、登場人物がそれぞれいわくありげなところも興味をそそる。読者の想像力を刺激するキャラクターも恩田作品の魅力の一つである。

 ところで、私は第三章の「上野ブラッディ」の取材に同行している。その記事は「小説野性時代」二〇一一年一二月号「総力特集 恩田 陸の正体」の一部として掲載されている。したがって、作中で花見や花火が鎮魂の行事だ、というくだりがあるのは、東日本大震災後の空気を反映しているのだと知っているのだが、この小さなエピソードに限らず、この作品には小説の外側の状況がじわじわと侵食してきている。「裂け目」からやってくる「グンカ」が、人々のルサンチマン(恨み)や負のエネルギーに感応していよいよ盛大に現れてきているように。つまり、ここ数年、時代の空気がきなくさくなっていることが作品のそこここに感じられるのだ。

 優れたエンタメは時代の無意識をすくい取り、読者の共感を呼ぶ。『失われた地図』もまたそうした作品の一つだと思う。しかし、だとすると、その未来は暗いものなのか、それとも希望の光が期待できるのか。本を閉じたとき、しばし考えずにはいられなかった。

[レビュアー]タカザワケンジ(書評家、ライター)
たかざわ・けんじ

KADOKAWA 本の旅人 2017年3月号 掲載

KADOKAWA

最終更新:5/9(火) 19:28
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