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ACL初の女性監督が語る指導者論。28歳の新米監督が乗り越えた困難、そして川崎への感謝

5/10(水) 12:52配信

フットボールチャンネル

 男子サッカーのトップリーグを制した初めての女性監督にして、ACL史上初の女性監督としても注目を集めた香港王者・イースタンSCのチャン・ユエンティン監督。初めてのアジアの舞台はほろ苦い結果に終わったが、指導者として大きな一歩を踏み出した。そんな28歳の新米監督が、5月9日に行われたACLグループステージ最終節の川崎フロンターレ戦の記者会見後に、日本メディアではおそらく初めての単独取材に応じてくれた。(取材・文:舩木渉)

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●突然の監督就任、チーム存続の危機。幾多の困難を乗り越えられた理由

「正直なところ、最初は本当にナーバスになっていました。精神的にも疲れていましたね」

 香港・イースタンSCのチャン・ユエンティン監督は男子サッカーのトップリーグで優勝した世界初の女性監督としてギネス世界記録に認定され、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の舞台に立った初めての女性監督としても注目を集めた。

 中国2部の梅州客家に引き抜かれた楊正光(ヨン・チンクォン)前監督からチームを引き継いだのが2015年12月のこと。元々はアシスタントコーチだったチャン監督は、前任者と梁守志(ピーター・リョン)GMの強い推薦によって、シーズン途中からイースタンSCを率いることとなった。

「それまで監督をした経験はなかったですし、女性の監督がどうやってチームをまとめていくかもわかりませんでした。アシスタントコーチたち、そして選手たちが皆プロフェッショナルな姿勢を見せてくれたのは幸運でした。彼らは私をリスペクトして、常に励ましてくれました」

 チャン監督は2010年から2013年まで別のチームのデータアナリストや下部組織のコーチを務め、2015年夏にアシスタントコーチになったばかりの新米指導者だった。そんな彼女は周囲の懐疑的な目線をよそに、瞬く間にチームをまとめ上げて、イースタンSCを21年ぶりのリーグ優勝とACL出場権獲得に導いた。

 しかし、昨年のシーズンオフにイースタンを危機が襲う。長年クラブに投資してきたオーナーが支援撤退を表明し、リーグ戦やACL出場辞退の恐れが出てきた。結局は昨年8月に新しいスポンサーが見つかって最悪の事態は回避できたものの、一旦辞退を申し出ていた悲願のACL出場は絶望的な状況だった。それでもチャン監督は続投を決断する。

「(オーナーが手を引いたことに)私はとても驚き、混乱していました。本当に残念な出来事でした。しかし、それは香港サッカー界の文化でもあります。常にそういった問題に直面しています。なので私はポジティブでいようと心がけていましたし、クラブが問題を解決してくれることを信じて、トップレベルの選手たちがいるチームを率いていくことにしました。

こういった事態に陥った場合、チームスピリットが非常に重要になります。幸運だったのは全員が共に残ると言ってくれたこと。だからこそ乗り越えられたのです。私は本当に嬉しかった。彼らはクラブをリスペクトしているだけでなく、家族のように愛しています。それこそがイースタンに残ると決めた理由でもあります」

 のちにACLに関しては辞退が受理されず、イースタンSCの資金面の問題も解決したため無事に出場が叶った。

●「監督は固定観念に縛られてはいけない」

 チャン監督は選手たちから絶大な信頼を獲得している。「私は自分が特別だと考えてはいません。男性の監督だろうと、女性の監督だろうと、目の前の仕事に全力を尽くすことこそが重要なのであって、人々の言うことを気にするべきではありません。選手たちがどう感じるか、どんなトレーニングプランを持っているか、自分の指導に耳を傾けてもらうかが重要になります」とは語るが、自分よりも年上の選手たちが多いチームを団結させるには相当な困難があったはずだ。

 選手との信頼構築において彼女が最も重要視していたのは綿密なコミュニケーションだった。元々データアナリストだった経験を生かし、数字に基づいて選手個人と対話を重ねることで互いの信頼を深めていった。

「私と選手たちは互いをリスペクトしています。素晴らしい経験やフットボールに関する優れた知見を持っている選手もいますし、私が彼らの話に耳を傾けて知識を得ることもあります。監督は固定観念に縛られてはいけないと思っています。互いから学ばなければならない。そうすれば彼らも監督という仕事を理解して常に敬意を払ってくれ、私の決断についてきてくれます」

 現在28歳のチャン監督は元香港女子代表選手でありながら、香港中文大学の大学院を修了している。専攻は運動医学や健康科学分野で、「データによる分析や知識は選手たちを強くします」と語る通り、サッカーにおけるスポーツ科学の重要性を理解している人物でもある。

「データ分析は自分のことを理解し、相手のことも理解することができます。データによる証明は選手たちに自信を与えることにもつながります。チームに問題があればそれを伝え、選手たちはその問題を理解する。そうすれば解決法も見つかり、チームとして成長することができるんです」

 だが、チーム一丸となって挑んだ香港勢として初めてのACLグループステージでは、力の差を思い知らされることとなった。退場者を2人出して0-7で敗れた広州恒大との初戦は「本当に印象的な試合でした」とチャン監督は語る。

●チャン監督が見据える未来。女性指導者へのメッセージ

 それでもアジアでの経験は決して無駄にならないとも強調する。

「この6試合、香港では経験できない非常に高いレベルの試合を経験できたことが日々の学びとなりました。普段よりさらに細かい戦術だったり、さらに細かいコンディション調整も求められましたし、選手たちのマネジメントは自分たちにとっていい勉強になりました。今日戦った川崎をはじめ、水原や広州といったクラブと戦えた経験こそが、私たちが香港に帰った時の一つの財産になりますし、アジアの舞台でしか味わえないハイレベルな戦いは、香港サッカーがよりよく発展するための財産になると思っています」

 ACLに出ることは監督としての責任や義務を感じさせてくれるとも語ったチャン監督。「私は注目されることが好きではない」という控えめな28歳は、指導者としても一歩前進できたと感じているようだ。

「将来は日本や他の国で指導してみたいと思っています。香港よりもフットボールのレベルが高いところで学び、経験を積み、良かったものを香港に持ち帰りたい。これが私の目標です」と、アジアの舞台を経験して将来の明確なビジョンを語る。

 ただ「AFC年間最優秀女子監督賞」や「香港リーグ最優秀監督賞」を受賞し、英『BBC』による「世界で影響力のある女性100人」にも選ばれたチャン監督は、女性指導者の難しさを誰よりも深く理解している。

「(女性のコーチが出てくるかは)その土地の文化しだいだと思います。香港では男女平等が進んでいます。それによって女性でも監督になれるチャンスがありました」と、香港ならではの事情を明かした。そのうえで女性指導者が他の国でも活躍するために必要なことも語っている。

「私は常に全力を尽くし、準備をして、自分を信じてきました。たくさんの困難を乗り越えていかなければなりませんが、自分を信じて、あきらめず、挑戦し続ければ、他の国でもチャンスが拓かれてくと思います」

 川崎フロンターレ戦後の記者会見では「日本で指導者を目指している全ての女性の方に伝えたいことは、とにかくあきらめず、自分を信じて、自分が正しいと思ったことをやり続けて欲しいということです。私はやり続ければ自分の夢が叶うと信じてここまで来ました。自分を信じ続けることが成功につながるとお伝えしたいです」と、チャン監督は日本で奮闘する女性指導者たちにメッセージを送っている。

●“チケット買い上げ“の真相。川崎への感謝とエール

 最後に、ある噂について質問をぶつけてみた。ACLグループステージ第2節、川崎FがアウェイでイースタンSCと対戦した試合、チケットは地元ファンによって即完売となり、当日券を求めて渡航した多くのフロンターレサポーターが“チケット難民”になってしまったという。

 それを耳にしたイースタンSCのチャン監督が、クラブから余っているチケットを自腹で買い取ってスタジアムの外で途方に暮れるフロンターレサポーターに配ったというエピソードが伝えられていた。真相はどうだったのか、チャン監督は笑顔でこう答えた。

「私は一銭も払っていませんよ(笑)。チケットをクラブから手に入れてきただけです。クラブがアウェイファンのためのスペアのチケットをいくらか持っていて、それを配布すると決めたということです。日本のファンの皆さんは、遠いところから飛行機で、相当なお金をかけて来てくださいました。そういった方々がスタジアムの中で試合を楽しむべきだと思いましたし、実際に観戦できたと聞いて私も非常に嬉しく思います」

 前述のエピソードが広まっていたからかフロンターレサポーターは、9日に行われたイースタンSCとの試合前に感謝のメッセージが書かれた横断幕を掲げた。前日から歓迎ムードを作り出し、スタジアムでは“恩人”への拍手も聞かれた。そんな様子を見たチャン監督は、川崎Fへの感謝とエールを託してくれた。

「中国や韓国と比べても、川崎の雰囲気は最高でした。川崎がベストスタジアムです。雰囲気だけでなく、フロンターレのファンの方々も素晴らしかったですし、アウェイチームに対しても礼儀正しく、リスペクトを見せてくださいました。私からフロンターレファンの皆さんに感謝申し上げます。そしてこの大会でいい結果が出ることを祈っています。私たちにはまだACLの予選に出場するチャンスがあります。またここに戻ってきたいですね」

 イースタンSCは国内リーグのレギュラーシーズンを2位で終えたため、残念ながら来年のACL本戦出場権を手にすることはできなかった。帰国後に2位から5位の4クラブによるプレーオフを戦い、勝者に与えられるACL予選2回戦出場権獲得を目指すことになる。チャン監督の眼は次なる戦いに向けて輝いていた。

(取材・文:舩木渉)

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