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野田洋次郎は“運命”を思索する RADWIMPS 『サイハテアイニ / 洗脳』の物語性を読む

5/11(木) 14:00配信

リアルサウンド

 ピンチをチャンスに変えるというフレーズはありふれているけれど、実行するのは難しい。それを大々的に成し遂げたのが、近年のRADWIMPSだろう。

 2015年にバンドは、ドラムの山口智史が持病の悪化で無期限休養に入るという危機に見舞われた。だが、残された3人のメンバーはサポートのドラマーたちを迎え、立ち止まることなく海外ツアー、対バンツアーに臨んだ。2016年には社会現象にもなった大ヒット映画『君の名は。』の主題歌・劇伴を担当し、ロックファンだけでなく誰もが知る存在となった。同映画のサントラ制作を経て、昨年11月には3年ぶりのアルバム『人間開花』を発表している。同作は、バンドサウンドにこだわらないリズム面での冒険もしてみせた意欲作だった。

 また、作詞作曲、ボーカル、ギターを担当する野田洋次郎は昨年、RADWIMPSだけではなくソロプロジェクトのillionでも10月に『P.Y.L』をリリースし、他アーティストへの楽曲提供を行ったほか、今年の4月からはドラマ『100万円の女たち』(テレビ東京)にも出演中。ワーカホリック状態である。

 そして、RADWIMPSとしてのニューシングル『サイハテアイニ / 洗脳』がリリースされた。先に触れた通り、近年の野田は多面的な活動をしており、『君の名は。』のインストゥルメンタルの劇伴やillionでのエレクトロチューンなどでは様々なサウンドを試し、自らの音楽性を広げてきた。それに対し、今回のニューシングルは、野田洋次郎の作詞家としての特徴がよくあらわれた内容になっている。

 人生を小説に喩えた2015年11月のシングル曲「’I’ Novel」などが典型的だが、野田は物語性のある詞を得意にしている。ゆえに『君の名は。』の物語に寄り添った主題歌「前前前世」も生まれたわけであり、新曲「サイハテアイニ」は同曲のイメージを引き継いだようなアップテンポのラブソングになっている。僕にないものばかりを持った君との結びつきを信じ、盛り上がっている気分がロックサウンドで表現されている。

 一方、野田が作詞作曲とプロデュースを手がけた曲を収録した他アーティストのアルバムが、最近立て続けにリリースされた。Aimerのベスト『blanc』(『noir』と同時発売)とさユりのファースト『ミカヅキの航海』である。『blanc』収録のAimer「蝶々結び」(昨年8月シングル発売)は、蝶々の形に結んだ糸に愛しあう二人の絆を象徴させた曲であり、『君の名は。』に近い世界観が感じられる。それに対し、さユり「フラレガイガール」(昨年12月シングル発売)は、ふられるわけがないと信じきっていたのにあなたが去ってしまい、逆ギレの口調になりながらも自分をふり返り、明日を向き始める歌だ。

 「蝶々結び」や「フラレガイガール」といった女性アーティストに提供したバラードでも、「前前前世」や「サイハテアイニ」などアップテンポのロックでも、相手との結びつきを信じる(そして時には裏切られる)ロマンティックな感情が鮮明に描かれている。

 しかし、「サイハテアイニ」と同時収録の「洗脳」では、信じるということがまるで別の角度から扱われる。タイトルからして「洗脳」だし、同曲では本人は信じていてもそれは騙されているだけかもしれない、ただの思いこみにすぎないかもしれないというツッコミの視点から詞が書かれている。カルトの存在などを踏まえればそれは宗教的テーマともいえるし、人は信じることなしに生きられないという哲学的テーマともとらえられる。

 若手哲学者の戸谷洋志が、『Jポップで考える哲学 自分を問い直すための15曲』という面白い本を書いている。Mr.Children、ゲスの極み乙女。、乃木坂46、宇多田ヒカルなどJポップの歌詞を読みこむことで哲学を語る趣向であり、死をテーマにした章ではRADWIMPS「おしゃかしゃま」(2009年『アルトコロニーの定理』収録)がとりあげられている。カラス、猿、パンダ、人類など地球上の様々な動物の生命に関し、扱いに差があることを神様や来世など引きあいに出しつつ歌った内容だ。同書で分析される15曲のなかでも、特に哲学っぽい詞だといえる。

 野田はしばしばこの種の思索癖があらわれた曲を書いていて、神様や仏様の視点からこの世の有様を語ってみせた「実況中継」(2013年『×と○と罪と』収録)などがすぐに思い浮かぶ。皮肉なアングルから信じることをテーマにした「洗脳」もそうした路線の1曲だが、堅苦しい出来ではない。途中には、自分がその対象をいかに信じているか、アナウンサーみたいな口調で解説するナレーションが登場し、妙なおかしさがある。野田の思索癖が展開される系列の曲には、この種のユーモアが含まれていることが多い。

 「地球上に男は何人いると思っているの? ……35億」というブルゾンちえみのセリフが、なぜお笑いのネタとして成立するのか。1対1が基本である恋愛関係において、たとえ何股もかけたとしたって億単位にはなりようがない。なのに、あえてそこまで話を大げさにすることで、恋愛という問題の小ささが笑えるようになる。と同時に、そこまで話を大げさにしないと今抱えている恋愛の悩みを笑い飛ばせない人間の小ささも笑われている。野田の思索癖が現れた曲には、このギャグに近い構造がある。視点を変え、人の営みをいつもとは違うスケール感で見つめ直すことによって、笑えるものにしてしまうのだ。

 野田は、2015年に『ラリルレ論』というエッセイ集を出していた。当時のライブツアー中の日記でありつつ、時おりそれまでの半生を回顧し、社会、政治、震災などに関する思いや考えを浮かぶまま自由に綴ったものだ。今、読み返すと、その後の曲につながる要素もみつけられて興味深い。

 彼は同書で「僕たちは信じたいものを信じる」と記している。そのうえで「相性の良さに喜び、「運命の糸」を自分と相手との間に勝手に結ぶ。それはただの「運命の意図」」だと、上手いことをいっている。

 野田は「運命の糸」を信じるロマンティックなラブソングを書くと同時に、意図的に「運命」を創作してしまう人間について哲学する曲も書く。『サイハテアイニ / 洗脳』のビジュアルに関し、RADWIMPSの公式サイトでは、白を基調にした通常盤は「サイハテアイニ」をイメージした「天使」、黒を基調にした初回限定盤は「洗脳」をイメージした「悪魔」だと述べている。苦悩する「天使」とそれを嘲笑うごとき「悪魔」は、互いに影響しあい、片方だけでは成立できないのだという。『ラリルレ論』の先の部分を念頭におくと、「天使」は「運命の糸」を祝福し、「悪魔」は「運命の意図」を捏造する存在と見立てたくなる。

 さらに、このシングルにはもう1曲、ドラマ『フランケンシュタインの恋』(日本テレビ系)の主題歌に選ばれた「棒人間」のストリングスバージョンが収録されている。「棒人間」は『人間開花』の収録曲だったが、人間という存在が咲き誇り祝福されているようなタイトルを冠したアルバムのなかで、自分が人間ではないことを謝罪するなんとも奇妙な歌だった。これもまた、通常とは異なる視点から人間を眺め、野田らしい作詞術が発揮された曲だった。

 このように『サイハテアイニ / 洗脳』には、「天使」と「悪魔」だけでなく、人間になりきれない何者かまでいあわせている。かなりコンセプチュアルなシングルだと感じられるし、わずか3曲ではあるものの内容は濃い。野田の物語性の美点を味わえる作品になっていると思う。

円堂都司昭

最終更新:5/11(木) 14:00
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