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【YOUはどうしてJリーグに?】横浜FMの元バルサMFバブンスキー。父がプレーした特別な国・日本で取り戻した喜び

5/16(火) 7:20配信

フットボールチャンネル

 Jリーグにおける外国籍選手といえば、ブラジル人や韓国人のイメージが強い。しかし、近年その傾向は弱まり、ヨーロッパからも多くの選手が日本でのプレーを選ぶようになった。彼らはどんな思いを胸にJリーグのピッチに立っているのだろうか。第3回はJ1の横浜F・マリノスで輝きを放つマケドニア代表MFダビド・バブンスキーの生い立ちから現在までを追った(不定期連載です)。(取材・文:舩木渉)

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●「内なる声」に導かれたJリーグ移籍

「決断は非常にシンプルで、内なる声、ハッキリとした直感が、日本こそサッカー選手として成長するために最高の行き先だということを示していたんだ」

 今季開幕前、タイで行われたキャンプに練習生として参加し、横浜F・マリノスとの契約を勝ち取ったダビド・バブンスキー。マケドニア出身の23歳は、自らの「内なる声」に導かれて日本へやってきた。

 1994年にマケドニアの首都スコピエで生まれた直後から、ブルガリア、ギリシャ、日本、スペインなど父ボバンがプレーする土地を渡り歩いてきた。そのためバブンスキーは2歳から4歳の頃、大阪で暮らしていた。日本人の子供たちと同じ幼稚園にも通っていたという。

 1996年から1998年にかけてガンバ大阪でプレーした父ボバンは当時を回想する。

「ダビドは毎試合、私とガンバのことを応援しにきていたよ。その頃から彼が将来フットボールの道に進むことを確信していた。私はどんな子どもでも幼少期に経験したことが将来の目標を決めると信じていたんだ。幼稚園では日本人の子供たちと一緒に日本語の曲を歌っていたよ。今でも歌えるかどうかはわからないけどね(笑)」

 ダビドは4月末に行われた父の古巣ガンバ大阪戦の前、「日本は僕にとって特別な国。たくさんの写真を持っているし、あの頃のことははっきりと覚えている」と語っていた。それは大阪での日々があったからに他ならない。

 一度日本を離れたバブンスキー一家は、ギリシャ、スペイン、ベルギー、ドイツと数年ごとに父ボバンの所属先へと居を移す。落ち着かない生活だったが、その末にたどり着いた安住の地がバルセロナだった。

 12歳になっていたダビドは、名門バルセロナの下部組織に入団する。その後は順調に昇格を重ね、2013/14シーズンに19歳でバルセロナB昇格を勝ち取った。

 当時のバルセロナBはスペイン2部を戦っていた。チームメイトには同い年のデニス・スアレス(現バルセロナ)をはじめ、近い年代にムニル・エル・ハッダディ(現バレンシア)やセルジ・サンペール(現グラナダ)、アレハンドロ・グリマルド(現ベンフィカ)、サンドロ(現マラガ)らがいる。

●バルサ退団からの苦難。セルビアで過ごした失望の1年

 バブンスキーはその中で主力に定着したとは言えなかったが、途中出場などでコンスタントに起用されていた。それでもトップチーム昇格は難しいと判断し、バルセロナBとの3年契約が切れる直前の2016年1月、クラブと双方合意のもとで契約を解除した。

「サイクルの終わり、バルセロナを出る時だと思った。10年間、素晴らしい経験を積むことができた。トップチームに昇格するのは困難で、チャンスはほとんどない。世界最高のクラブであるのは承知の通りで、非常にレベルが高いからね。キャリアを続けていくために、外へ出て新しいスタイルを経験することが完璧な選手になるために必要だった。これは僕の決断であり、クラブともお互いに、僕のキャリアや将来にとっていいことだと思って合意した。幸せな形での別れだった」

 当時を振り返るバブンスキーにとって、バルサでの日々が自身のサッカー観のベースになっている。度々トップチームの練習にも参加していたようで、「実際に見て刺激を受けたのは、やっぱりメッシかな。彼は歴史上最高の選手。一緒にトレーニングできた経験は何物にも代え難かった。バルサではイニエスタやロナウジーニョも同じような存在だ。シャビやブスケッツ、ネイマールといった選手たちからも本当にたくさんのことを学んだ」と懐かしそうに振り返った。

 バルセロナを退団してすぐ、バブンスキーはセルビアの名門レッドスター・ベオグラードに加入した。だが、そこでは苦難の日々が待っていた。シーズン途中でチームに合流した若者にはほとんどチャンスが与えられず、リーグ優勝というタイトルこそ獲得したものの、出場はわずか6試合にとどまった。

 シーズンをまたいでも状況は一向に好転しない。セルビアでの1年間は、試合に出て貪欲に成長を追い求める22歳にとって苦痛だったにちがいない。「セルビアでは多くの外的要因があった。プレーできるかできないかがフットボールではないところで決まっていた。しっかりと組織化されていなかったし、頽廃(たいはい)していた」と、レッドスターの惨状を吐露する。

「誰も僕がプレーできない理由や、どうやったら試合に出られるのか理解していなかった。でも、チームメイトをはじめとして周りの人たちはすごくサポートしてくれた。監督が誰を出すか決められない事態はフットボールではしばしば起こりうることだし、そこから重要なことを学べた」

●父が勧めたJ移籍。夏に祖国の歴史を変える戦いへ

 1年間、ほとんど試合に出られない中でバブンスキーは悩み抜いた。アビスパ福岡所属歴を持つミオドラグ・ボージョヴィッチ監督を「誰がプレーして誰がプレーしない、ということについて彼なりの理由があったんだと思う」と一部擁護したものの、どんなに努力しても報われない状況に置かれていた。

「昨年はフットボールの選手としてではない側面について考えることが多かった。試合に出られないことが多かったから、自分の内面を見つめてより強くなれるよう考えたり、辛抱強く練習して自信を失わないようにしたりね。あの1年は無駄ではなかったし、ポジティブなものだったと思う」

 そんな苦しい日々を乗り越えた先で、運命は壁に立ち向かい続けた勇者に微笑んだ。「特別な国」日本への移籍である。

「僕が持っていた全ての選択肢の中で、日本移籍の可能性が非常にハッキリと見えていた。実際に来てみて、この決断が間違いでなかったと感じている。すごくハッピーだし、日々たくさんのことを学び、成長できている。自分のキャリアを考えると、素晴らしい決断だったと思う」

 父ボバンも「日本からのオファーを受けたと聞いて本当に興奮した! 私は彼に考えて時間を無駄にするなと伝えたよ。深く考えずとも、すぐに日本へ行くことを強く勧めた。Jリーグでなら彼のキャリアと人生のためにとても重要なことを学べるとわかっていたからね」と、息子がかつて自分がプレーした国への移籍を決断したことに喜びを隠せない。

 実際にバブンスキーは横浜FMですぐにレギュラーを掴み、中村俊輔去りし後のトップ下で攻撃のタクトを振るっている。開幕戦からの2試合連続ゴール以降、得点数こそ伸びていないが、随所で高い技術と卓越した戦術眼を発揮している。

 そしてこの夏、23歳を迎えたマケドニアの希望の星は、2つの祖国のための戦いに挑むことになるかもしれない。1つはマケドニアA代表の欧州予選だ。「監督に呼ばれるかどうかだからわからない」ため、こちらは出場が叶うかは不透明。

 だが、もう1つのU-21欧州選手権は、バブンスキーにとっても祖国にとっても非常に重要な大会となる。これまでW杯やEUROに縁のなかったマケドニアにとって、歴史上初めて出場権を獲得した大規模な国際大会だ。

●「いつの日か、バルセロナに戻れたら…」

 バブンスキーは国の歴史を変えたチームの最年長にして10番を背負い、キャプテンも務める。文字通りU-21マケドニア代表の大黒柱。仮に出場すれば数週間にわたって横浜FMを離れることになるが、本人は「U-21代表は特別な世代で、チームにとっても自分にとっても最後の機会になる。(A代表のチャンスもあるなら)もちろん両方出たい」と、6月の2つの大きなチャレンジに並々ならぬ意欲を見せる。

 そんな息子を案じる父ボバンは、日本で一歩一歩着実に成長を続ける息子にアドバイスを送った。自分もかつてプロとして戦ったからこそ、その世界の厳しさが身にしみているのかもしれない。

「試合でも練習でも、どんな時も持てるクオリティのすべてを見せ、ピッチ上では毎日ポテンシャルのすべてを示し続けること。3~4ヶ月経てばダビドにとって(Jリーグが)最良の選択だったとわかるはずさ。

横浜FMには素晴らしいコーチングスタッフがいて、彼が10年間過ごしてきたバルセロナと同じような哲学を持っているのだから。日本は彼にとって最高の国。文化も、人々も、それらを取り巻く驚くべき勤勉なメンタリティや倫理観も、すべてがサッカーのために完璧な環境なんだ。そしてプレーを楽しんで欲しいね」

 バブンスキー本人も父の思いに呼応するように、一度挫けかけたキャリアを日本で取り戻し、選手としてさらなる高みを目指すことを誓った。そしてJリーグでプレーする喜びを取り戻した今、キャリアにおける目標も再び明確になってきている。

「日本で僕自身のプレースタイルを磨き上げて、ポテンシャルのすべてを発揮したい。チームのために戦えばたくさんのものをもたらせると感じている。もっと優れた選手になることに最大限集中して、結果を出したい。未来を切り拓けるかは自分自身が今何をしていくかにかかっている。

今はチームやファン、チャンスをくれたクラブとともに素晴らしいシーズンを過ごして、より成長するためにトライし続けたいということだけだ。将来がどうなるかは全くわからない。明らかなのは僕が大きな野心を持っていて、リーグの中でも最高のチームにいるということ。いつの日か世界最高のクラブ、バルセロナに戻れたらいいね。これがキャリアにおける大きな目標かな」

(取材・文:舩木渉)

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