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地図とコンパス 空族(映画作家集団)

5/16(火) 17:30配信

Book Bang

 何かを教わるということは知ることではなく、生きていると感じることであり、それは生と死が循環するジャングルの掟だ。この2冊は、そんなジャングルを歩くための地図とコンパスである。この2冊もまたアピチャッポンを通してイサーンへ、そしてイサーンでまたアピチャッポンに出会うという循環を望んでいる。
 私たち空族が、タイの東北部イサーンについて教わったのは、バンコクのトゥクトゥク(三輪タクシー)の運転手と日本人専門の歓楽街タニヤ通りで働く女の子たち、そしてアピチャッポンからだった。映画『バンコクナイツ』を製作するためタイに何度も足を運び、バンコクの多くの労働者や夜の女の子たちがイサーンからの出稼ぎであることを知った。
 同じ頃日本でも、イサーンを舞台としたアピチャッポンの映画が逐次公開されていた。そして私たちは“家族を養うためにイサーンからバンコクのタニヤ通りに働きに出た女の子とその客である日本人の物語”『バンコクナイツ』が必然的にイサーンという土地と出会う映画になると確信したのだった。
 ラオ民族の住むイサーンは肥沃なタイの中でも貧困地区と言われ、クメール系文化の強い土地である。故に近代タイ中央政府からは差別され国境紛争に巻き込まれてきた。映画『ブンミおじさんの森』や『メコンホテル』でも“解放区ジャングルの「イサーンの森」に入った学生や農民への白色テロ”や“内戦のラオスからの難民”が描かれる。苛酷な歴史を持ち、ベトナム戦争で最も多くの米軍基地が造られ爆撃機が飛び立った土地でもある。

 私たちはバンコクのサパーンプットと呼ばれる夜市で、若いドレッドヘアーのアンチャンからタイの抵抗詩人“ナーイピー”の肖像がプリントされた手造りのTシャツを買った。ナーイピーは60年代に軍事政権からイサーンの森に逃れ、ゲリラとなってラオスまで行き客死した人物であるが、その時私たちはタイで有名なミュージシャンぐらいにしか思っていなかった。その後フリーの娼婦たちが集まる俗に言う援交カフェへ行き、地下でタバコを吸っていると、暇を持て余した女がTシャツを見て声をかけてきた。「それ、ナーイピーでしょ? 知ってるの?」
 思えばこうして私たちはいつも街の人々からタイのこと、イサーンのことを教わった。タニヤ通りの客引きのおじさんと話をした時、おじさんは涙を流してイサーンの森から帰還したミュージシャンたちの“生きるための歌”の事を語ってくれた。
 アピチャッポンの作品にはそのような出会いがいつも息づいている。実際に自分の映画で主演のジェンジェラーさんからイサーンやナブア村のことを教わってきたのだ。まるでジャングルで何者かに遭遇するかのように。それはまさに生きていると感じることだ。
 アピチャッポンを探しにジャングルへ入って私たちはアピチャッポンではない何かに出会う。たとえ地図とコンパスはあっても、何に出会うかは旅人にしかわからない。出来うるならばこの2冊を手に、アピチャッポンを追ってイサーンへの旅に出て欲しい。

[レビュアー]空族(映画作家集団)

河出書房新社 文藝 文藝2017年夏号 掲載

河出書房新社

最終更新:5/16(火) 17:30
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