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二階幹事長の「GWは外遊せず選挙区回れ」指令は角栄のDNA

5/17(水) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 自民党内で「田中(角栄)派DNAの最後の継承者」(自民党ベテラン)といわれる二階俊博・幹事長を仕掛け人とする「大田中派構想」が持ち上がっている。二階氏と鈴木宗男氏を軸に額賀派(55人)、二階派(41人)、石原派(14人)が結びつこうとしている。3派を合わせた「大田中派」が結成されれば所属議員110人を超える最大派閥となる。この派閥に続くのが大宏池会(新・麻生派100人程度)と、安倍晋三首相の出身派閥である細田派(96人)だ。

 全盛期の田中派は141人の議員を擁し、「総合病院」「選挙互助会」と呼ばれた。角栄研究の第一人者として知られる政治評論家・小林吉弥氏は田中政治の特徴をこう語る。

「田中派には農業なら誰、外交なら誰と分野ごとに角栄氏の眼鏡にかなった政策のエキスパートがいて、どの官庁の政策にも対応できたから総合病院です。そうした優秀な政治家が切磋琢磨して政策を作っていった。

 また、選挙互助会というのは、新人議員が地元から陳情を受けると、その分野に強い先輩議員が役所につないでやることで成果を出せる。地元のニーズに応えるから選挙にも強くなる。だから互助会。そうしながら新人は先輩議員の下で政策を学び、人材が育って選挙に強い議員が増え、派閥が拡大したわけです。

 この人材育成のシステムで後に“竹下派七奉行”と呼ばれた小渕恵三、橋本龍太郎、羽田孜、小沢一郎、梶山静六といった人材を輩出し、時代の要請に合った多くの政策が田中派から出てきたことは事実です」

 田中派の復活が現在の自民党を大きく変えるインパクトを持つ可能性があるのは、そうした田中角栄氏の政治手法が安倍政治のアンチテーゼでもあるからだ。小林氏は角栄氏の手法は「下からの政治」だったという。

「角栄氏は派閥議員に『地元に行けばわかる。不満を吸い上げてこい』と指導していた。141人の議員たちが地元に戻って、全国から不満や陳情を持ち帰る。それを派内で議論し、政策に仕上げていく。国民のニーズに応えることに田中派の強みがあった」

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