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相撲史上最高齢の新幕下昇進・駿馬が踊った「恋ダンス」

5/18(木) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 相撲ブームが沸騰している。そこで、「謎のスー女」こと尾崎しのぶ氏が相撲コラムを執筆。今回は小兵力士・駿馬(しゅんば)の「恋ダンス」について紹介する。

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 二〇一〇年の五月場所。国技館前を車椅子がゆっくりと進んでいた。よく見ると間垣親方だった。脳梗塞により左半身が不自由になったことは知っていた。現役時代には「美剣士」「五月人形」とたたえられた若三杉、二代目・若乃花の間垣親方。五月人形だって、三十年も経てばひびが入ることもある。

 すれちがう瞬間、おどろいた。正面からは間垣親方の姿しか見えなかったのに、車椅子を押している力士がいた(そりゃそうだ)。力士名鑑で間垣部屋の小柄な力士をさがす。ギュッと結んだ口に責任感がありそうで「たぶんこの人だ」と思った。百六十九センチの駿馬。名鑑には出身校が記される欄があるのだが「飯田高―杏林大/相撲部なし」と書いてある。相撲部なし?

 駿馬は小学校から高校まで相撲部に在籍していたものの、新弟子基準の百七十三センチに及ばない、と相撲から離れた。杏林大学では中国語を修め、江蘇省の日本語学校の教師に内定もしていた。しかし二〇〇一年より第二新弟子検査が実施され、百六十七センチに基準が引き下げられて間垣部屋に入門。中国から若勝獅が入門してくると通訳を買ってでている。

 相撲協会には外国出身者は一部屋に一人という規定があるのだが、間垣部屋ではロシア出身の若ノ鵬が大麻所持で逮捕・解雇され、その後入門した中国出身の若勝獅もやめてしまった。そこに、入門を希望しモンゴルから来日したが受け入れられる部屋がなくいったん帰国、再来日して鳥取城北高校に留学していたガントルガ・ガンエルデネが二〇一〇年に入門。四股名は若三勝、のちの大関・照ノ富士の誕生である。

 親方の体調の悪化と経営難から間垣部屋は閉鎖され、駿馬と若三勝、呼び出し勝尚(現・照矢)は伊勢ケ濱部屋に移籍する。間垣部屋の最終期はちゃんこも満足に食べられなかったという。しかし、若三勝が出世したから言えることではあるが、間垣部屋への入門は悪いことばかりではなかった。

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