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あの頃これが欲しかった!ズバッと参上し、ズバッとコントロールできた三洋電機の超音波式リモコン『ズバコン』

5/18(木) 6:30配信

@DIME

現代の様にインターネットが普及していなかった1960~70年代。

家庭の娯楽の中心は、ラジオ、そしてテレビでした。

【写真】あの頃これが欲しかった!ズバッと参上し、ズバッとコントロールできた三洋電機の超音波式リモコン『ズバコン』

テレビ放送が開始されたのは1953年。当時のテレビはサラリーマンの月収の10倍はする値段でしたので、とても個人で変える価格帯では有りませんでしたが、時は進み60年代ともなると、無理をすれば買えなくはないプライスまで下がって来ました。

東京オリンピックや、(当時の)皇太子殿下・美智子妃殿下の御成婚パレードを見たいという動機で、テレビは飛ぶ様に売れた様です。

そして、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が「3種の神器(戦後日本の生活必需品とされた3種類の消費財)」と呼ばれるようになりました。

当初の放送は白黒オンリーでしたが、その後カラーの本放送も開始。お茶の間のテレビも白黒テレビからカラーテレビへと、大きくシフトしていく事となります。

ちなみに、電子工作の技術を持った人は、安価にテレビを入手すべく、故障したTVを自ら修理してゲットした人も居た様です。接触不良やコンデンサ、抵抗の不調であれば、まだ個人でも修理がなんとかなった、大らかな時代でした。

当時のテレビの正位置は、お茶の間の上座に位置しておりました。家具の中でも、最も高価で貴重品だったテレビでしたが、そのデザインは、本体のキャビネットに木目をあしらった、家具調の商品が多く作られました。テレビの上には物を置くペースが充分に有った為、天板に花瓶を置いて、レースの敷物を敷いたインテリアとしても大切な役割を果たしてりました。

戦後家電メーカーの雄、三洋電機は、量産化技術により、それまで高価だったテレビの価格を大いに引き下げました。そして1969年に「薔薇」という商品を発売。三洋の特約店は「薔薇チェーン」と呼ばれる様になりました。

その後、満を持して、三洋電機はリモコン式のテレビ「ズバコン」を発売します。

「10メートル離れたところからでも 超音波で、チャンネル・ボリュウム・ON・OFFが自由に操作できる話題の”ズバコン”(原文ママ)」が最大の売りでした。

「超音波式」のリモコンの操作をすると、リモコンから発せられた音波をテレビ本体が受信して、機械式のチャンネルつまみがモーターでガチャガチャ切り替わる、大変ダイナミックな代物でした。

時代の最先端を感じられる超音波式リモコンでしたが、生活騒音の中でもどうやら金属同士の接触音に含まれる高周波を検知してしまい、誤動作を起こしてしまうデメリットがあった様です。ネットの情報を見てみると、リモコンの中には音叉が入っていたとか。ビックリです。

子供の頃、友人宅に遊びに行った時、ズバコンを操作する機会がありました。

友人が、「このテレビはリモコンで操作出来るんだぞー」と自慢げにズバコンを操作したら、テレビのチャンネルつまみがガチャガチャ切り替わるので、思わず「おおーっ!」を声を上げました。その後リモコンを貸してもらい操作しましたが、あまり頻繁にチャンネルを回していたら、「テレビが壊れる!」と友人に叱られて、リモコンを取り上げられてしまいましたとさ。(^_^;)

その後テレビのリモコンは、より誤動作の少ない赤外線リモコンが開発され、現在に至ります。

超音波式のサンヨー・リモコン「ズバコン」は、リモコン式テレビの黎明期に人気を博した、不朽の名機として今でも燦然と輝いているのです…。

※記事中の情報は、記事執筆調査時点のものとなります。
※本記事は、あくまでも筆者の微かな記憶と主観に基づき、飛躍した表現によるエッセイであり、特定メーカーや機種等を貶める意図はございません。

文/FURU

@DIME編集部

最終更新:5/18(木) 6:30
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