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なぜ大阪桐蔭は強いのか。指揮官が語った「春の山と夏の山」

webスポルティーバ 5/19(金) 11:53配信

大阪桐蔭・西谷浩一監督のマジック(後編)

 センバツを制した直後の勝利監督インタビューで、大阪桐蔭の西谷浩一監督は「明日からまた夏の山に登りたいと思います」と力を込めた。それから約2カ月、チームの現状について聞いてみた。

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「なにより大事なことは、まったく違う山に登るということを自分たちが知っておくことです。ここをわかっていないと本当に痛い目にあう。春の山というのは、(前年の)8月に新チームになって、秋の大会を戦い、センバツ出場の可能性があれば冬を越え、3月に備えるわけです。つまり、8月から3月まで同じ山に登るわけなんです。でも夏の山は、今年のウチで言えば、4月2日にセンバツの決勝を戦い、その直後から登り始めるわけなんです。まったく別のものなので、春の山を下りてからでないと夏の山には登れない。まず山を下りることからのスタートなんです」

 2年前、大阪桐蔭はセンバツで敦賀気比に準決勝で敗れた。0対11という屈辱的なスコアで敗れた直後、西谷監督は選手たちに今の思いを野球ノートに書かせた。すると、選手たちは揃ってこう書いてきたという。

「夏までにあと2つ勝てる力をつける」

 要するに、センバツではベスト4まで来ることができたが、最後は体力も技術も足りずに敗れた。夏へ向けて、ここから足りなかったものを身につけ、頂点を目指す、と。しかし、これを見た西谷監督は「そうじゃない」と選手たちを集め、懇々(こんこん)と諭(さと)したという。

「選手たちは、まさに春の山を登ってきた先に夏の山があると考えていたんです。でも、実際にはそうではなくて、まったく別の山なんだと言い聞かせました。今年の場合、ほかのチームは秋が終わった時点で夏の山を登り始めているのに、ウチと履正社だけはついこの間まで春の山を登り続けていたわけです。だから急いで山を下りて、ほかのチームよりも険しい道を登っていかないとダメなんです」

 ちなみに2年前のチームは、夏の大阪大会準々決勝で大阪偕星学園に1点差で敗れ、甲子園出場を逃した。スタート時点の認識のズレが影響したのかどうかはわからない。ただ、今回もまず春の山を下りるという意識づけを選手に徹底させた。センバツ優勝翌日には、宿舎から寮に戻り、早速トレーニングで汗を流した。1日休養という選択肢もあったが、体を動かした。

「『今日は休んでもいいけど、どうする? オレは夏の山に登りに行くけど』と言うと、選手たちは『やります』と。『ノー』とは言えなかったんでしょうけど(笑)。そこで『ウエイトを2時間だけやろう』と軽く汗を流しただけでしたけど、今から夏の山を登るという切り替えの練習でした」

 センバツ優勝から夏を目指す流れは、西谷監督にとっては2度目となる。前回は、藤浪晋太郎(阪神)と森友哉(西武)のバッテリーを擁した2012年。このときは、センバツに続き夏の甲子園でも全国の頂点に立った。西谷監督が当時を振り返る。

「あのチームがすごかったのは、センバツが終わって夏の大会に向かうまで、1分1秒たりとも油断や慢心を感じさせなかったことです。藤浪も、野手に助けてもらったという思いが強く、野手陣もこのままではやられてしまうという意識がありました。センバツを終えた夜に、今の思いを野球ノートに書かせると、全員が『このままじゃ夏は勝てない』と書いてきた。それを見て、僕はこのチームはまだまだ伸びると思いました」

 今回のセンバツも、耐えて、粘って、なんとか勝ち抜いた印象が強い。

「たしかに、ほかを圧倒しての優勝ではなかったですからね。粘って、粘って……気づいたら最後に生き残っていたという感覚です。だから選手たちは、まだまだと思っているはずです」

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最終更新:5/19(金) 11:55

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