ここから本文です

市船出身の高卒ルーキー、そろってU-20W杯へ。原輝綺と杉岡大暉、崇高なライバル関係

5/19(金) 10:20配信

フットボールチャンネル

 20歳以下のナショナルチーム世界一を決めるヒノキ舞台、FIFA・U-20ワールドカップが20日から韓国で開催される。10年もの空白期間を越えて世界に挑むU-20日本代表は17日に韓国入りし、21日のU-20南アフリカ代表とのグループ初戦へ向けて最終調整を重ねている。選ばれた総勢21人のメンバーのなかで市立船橋高校(千葉)時代から切磋琢磨し、お互いを高め合ってきたMF原輝綺(アルビレックス新潟)とDF杉岡大暉(湘南ベルマーレ)の崇高なライバル関係を追った。(取材・文・藤江直人)

何度でも見たくなる!! 久保建英くんのスゴさがわかる動画

●再び同じユニフォームに袖を通す2人

 無念の涙とともに、志半ばで高校サッカーに別れを告げてから約4ヶ月半。別々のチーム、しかも異なるカテゴリーでプロの世界を駆け抜けてきた2人が再び同じユニフォームに袖を通し、日の丸の誇りと胸に抱きながら世界の強豪たちと対峙する。

 韓国で20日に開幕するFIFA・U-20ワールドカップ。今春に市立船橋高校(千葉)を卒業したMF原輝綺(アルビレックス新潟)とDF杉岡大暉(湘南ベルマーレ)はお互いをライバル視し、高め合い、ほぼすべての公式戦でピッチに立ちながら成長を続け、U-20日本代表でチームメイトとなった。

「お互いにのこの先もサッカーを続けていく以上は、アイツは常に意識していく存在。切っても切れないライバル関係なのかなと僕自身は思っているし、いまもすごくいい刺激をもらっています」

 アルビレックス史上で初めてとなる、高卒ルーキーによる先発デビューを2月25日のサンフレッチェ広島とのJ1開幕戦で射止めた原が静かで、かつ淡々とした口調のなかにも闘志を燃やす。

 もちろん、アイツと呼ばれた杉岡も負けてはいない。一夜明けた同26日。水戸ホーリーホックとのJ2開幕戦で3バックの左で先発フル出場すると、6日後のザスパクサツ群馬とのホーム開幕戦の開始10分には、果敢な攻め上がりからプロ初ゴールとなる先制弾を叩き込んだ。

「J1の試合をよく見るんですけど、原は普通に通用している部分がすごく多いので。その意味では、まだまだ僕のほうが下なのかなと感じている。僕の向上心の源になっているというか、原がいることで、もっともっと上手くならなきゃいけないと思えるので」

 最初に頭角を現したのは杉岡だった。FC東京U-15深川からFC東京U-18への昇格がかなわず、高いレベルで己を磨ける場所として市立船橋を選んだ。FC東京U-15深川ではボランチが主戦場だったが、入学からほどなくして、自分の適性はセンターバックにあると気づかされた。

 対人における無類の強さと、利き足である左足の精度の高いキックが宿っていること、何よりも左利きのセンターバックそのものが日本サッカー界では希少価値であることを朝岡隆蔵監督から教えられた。

 2年生の7月にはU-17日本代表に招集され、国際ユースサッカーin新潟では優勝も勝ち取った。直後のインターハイでは準優勝。高校ナンバーワンのセンターバックという評価を受けるようになった杉岡の前方で、ボランチとして黒子に徹していたのが原だった。

 クラブチームのAZ’86東京青梅から入学した市立船橋で、一番下のチームからはい上がってきた原の武器は、すべての守備的なポジションをハイレベルでこなせるユーティリティーさにあった。

●インターハイでは6試合1失点の堅守を構築

 そして、市立船橋での最終学年を迎えると、2人はセンターバックコンビを結成する。インターハイでは6試合を1失点に抑える絶対的な堅守を築きあげ、チームを夏の日本一へと導いた。

 直後に静岡県で開催された、SBSカップ国際ユースサッカーに臨んだU-19日本代表に、2人はそろって招集される。杉岡に原が追いついた形となるが、約2ヶ月後の10月には立場が逆転する。

 U-20ワールドカップへの出場権がかかったAFC・U-19アジア選手権。中東バーレーンで開催された大一番に原が招集され、杉岡は涙を飲んだ。しかも原は試合を締めるクローザーとして重用され、U-19イエメン代表とのグループリーグ初戦ではダメ押しのゴールまで決めた。

 日本は全6試合を無失点に抑えて、悲願でもあった初優勝を達成。5大会、実に10年ぶりにU-20ワールドカップへの扉を開けた。そして、U-19タジキスタン代表との準々決勝を除いて、5試合に出場を果たした原は内山篤監督の信頼を一気に勝ち取る。

 11月下旬に行われた南米アルゼンチン遠征。15歳のFW久保建英(FC東京U-18)が初めて招集されたことで、注目を集めたメンバーのなかに原も名前を連ねた。再び選外となった杉岡は捲土重来の誓いを胸に秘めながら、チームメイトでもある原へのライバル心を鮮明にしている。

「原が選ばれたことによってより悔しさが増しましたし、その分だけ、僕は僕で頑張らなきゃいけないとあらためて思いました」

 2人の卒業後の進路は、ともに9月1日にアルビレックスとベルマーレから発表されていた。もっとも6月にはオファーを受けたチームの練習に参加し、インターハイの開幕前には意中のクラブを決めていた。

 原はアルビレックスと徳島ヴォルティスの二者択一から前者を選んだ。翻って杉岡のもとには、ベルマーレに加えて名古屋グランパス、ジェフユナイテッド千葉、そして3年前にU-18へ昇格する道を閉ざされたFC東京からもオファーが届いていた。

●杉岡がJ2降格危機にあった湘南を選んだ理由

 市立船橋で急成長を遂げた証とも言えるし、同じようにU-18へ昇格できず、青森山田高校(青森)に進んだFC東京U-15深川時代の盟友、GK廣末陸は実力でFC東京を振り向かせて入団を勝ち取った。

 しかし、杉岡が選んだのはベルマーレだった。J1を戦っていた昨シーズンは開幕直後から低迷し、J2に降格するおそれもあった。それでも、1週間ほど参加したベルマーレの練習に杉岡は魅せられた。

「もちろんJ2に降格したときのことも考えましたけど、湘南スタイルを武器とするアグレッシブなサッカーに惹かれたのと、日々の練習の質や強度の高さ、先輩の方々が取り組む姿勢を含めて、このチームならば毎日のように成長していけると思ったことが決め手になりました。

 FC東京ならばU-23チームが参加しているJ3ですぐに試合に出られるかもしれない、ということも考えました。それでもJ2のなかでも限りなくJ1に近いレベルのチームで練習して、J2の試合に出ることで成長したいという結論に至りました」

 3シーズンにわたって3バックの左を務めてきた、DF三竿雄斗が鹿島アントラーズへ移籍したことも、杉岡にとっては追い風になった。左利きで対人に強く、前への推進力と正確なフィードも搭載している杉岡は、三竿の穴を補って余りある存在となった。

「五分五分のボールをピタッと止めて、味方にパッと縦パスを入れるプレーは、教えてもなかなかできないこと。たとえミスになったとしても、そういうチャレンジは奨励してあげないといけない。ポジショニングや守備のところでは改善すべき点は多いけど、(杉岡)大暉は相手が嫌がることをできるので」

 ベルマーレを率いる曹貴裁(チョウ・キジェ)監督の慧眼も、杉岡の成長を加速させた。迎えた3月下旬のU-20日本代表によるドイツ遠征。けがで辞退したDF中山雄太(柏レイソル)に代わって、杉岡が追加で招集された。

 メンバーには原も名前を連ねていた。杉岡が再び原と同じ土俵に立った形となるが、原自身はJ1の舞台で濃密な経験を積みながら、さらに先を走っていた。すでに退任となったが、今シーズンから指揮を託された三浦文丈監督は、開幕へ向けた準備のなかで原の非凡さに幾度となく驚かされていた。

「日々の練習を見ていて、とにかく守備の能力が高いなと。実際に試合を重ねていくと、危険なところを察知する能力がどんどん磨かれていった。素晴らしく成長していると思います」

●原輝綺はボランチで開幕デビュー。チーム事情によるコンバートも経験

 開幕戦からダブルボランチの一角で先発に定着した原は、サガン鳥栖との第6節から左サイドバックに回っている。開幕5試合で9失点を喫し、特に左サイドの守備が崩壊状態なったための緊急措置に、原の守備力に対する信頼度の高さが伝わってくる。

「ボランチで最後にプレーしたガンバ大阪ではボールを上手く自分のところに呼び込めていたし、縦パスもどんどん入れられるようになっていた。ボランチで言えば、開幕戦と比べてちょっとずつですけど、プレーの幅が広がってきているのかな、という手応えはありました。

 そういうなかで左サイドバックでしたけど、最初は戸惑うこともあったし、あまり目に見える変化というものはないのかなと。絶対的な実力があって試合に出ている、という感覚は自分のなかにないというか。使ってもらっているなかで、自分にできることをちょっとでも増やさないと」

 謙遜を繰り返していた原だが、明確な足跡も刻んでいる。現時点でアルビレックスがあげた唯一の白星となる4月16日のヴァンフォーレ甲府戦で、前半11分にプロ初ゴールとなる先制点を決めたのは、左サイドバックに回って2試合目となる原だった。

 迎えた今月2日。U-20ワールドカップのヒノキ舞台に臨むU-20日本代表メンバー21人のなかに、原だけでなく杉岡も名前を連ねた。PK戦の末に前橋育英(群馬)に苦杯をなめさせられ、無失点のまま大会を去った全国高校サッカー選手権2回戦の悪夢から、ちょうど4ヶ月がたっていた。

「自分はボーダーライン上にいる選手だと思っていたし、正直、選ばれるのは難しいのかなと。だからこそベルマーレで試合に出続けていることが評価されたと思っているし、その意味では僕の選択は間違っていなかった。ポジショニングを含めて、守備の部分で本当によく考えるようになったので」

 運動量の多さとハードワークを前提として、そのうえで「考えること」を強く求める曹監督のもとで成長できたからだと、杉岡が吉報に笑顔を浮かべる。一方でミッドフィールダー登録となった原は、ボランチのレギュラー争いに参戦したいと誓いを立てる。

「代表ではポジションもやるべきことも違うと思うので、しっかりと頭を切り替えて、まずは試合に出られるように頑張りたい。守備でも攻撃でもすべての面でいまよりも幅を広げて、いろいろなものを吸収して新潟に帰ってきたい」

●盟友が散らす崇高な火花。ともに世界の舞台へ

 メンバー発表後に、原はリーグ戦とYBCルヴァンカップを1試合ずつ戦った。ともに黒星を喫し、その過程では三浦監督が成績不振の責任を取るかたちで休養。片渕浩一郎コーチが暫定的に指揮を執り、原が代表チームに合流した後に呂比須ワグナー新監督の就任が発表された。

「チームの雰囲気は正直、あまりよくないというか。個人的にはすごくいい経験をさせてもらっているし、それでもチームの結果が出ていないという点で、複雑な思いを抱かざるを得ませんでした。これからも厳しい戦いが続くと思いますけど、チームメイトを信じて、自分は責任をもってしっかりと戦ってきたい」

 胸中に抱いていた不安をこう打ち明けたこともある原は、自らを抜擢してくれた三浦前監督への感謝の思いを力に変えながら、韓国の地で最終調整に臨んでいる。

 一方の杉岡は、直前合宿前の最後の一戦となった7日のFC町田ゼルビア戦後に曹監督からカミナリを落とされた。両チームともに無得点で迎えた後半終了間際に、自陣で不必要なファウルを犯したためで、あらためて「考えてプレーすること」の大切さを意識のなかに刻んだ。

「代表に選ばれたときに、実は『帰ってきたときにポジションはないかも』とちょっと思いました。常日頃から争いがあるし、いつも危機感をもっていた。その意味でも、このチームを選んで本当によかったと思っています」

 11日から静岡県内でスタートした直前合宿で顔を会わせるまで、2人は連絡を取り合っていない。「自分はあまりLINEとかが好きじゃなくて。返信するのが面倒くさいし」と原は苦笑いしたが、高校時代から同じことを考えてきたからこそ、あえてメッセージを交わしあう必要もないのだろう。

「アイツがいなかったら、多分、いまの僕もいない。高校時代から同じポジションでプレーしてきた仲間ですけど、いい意味で刺激しあえるライバル意識もお互いにもっているはずなので」

 杉岡に抱いてきた、畏敬の念にも近い偽らざる思いを原が打ち明ければ、杉岡もU-20日本代表での日々再び同じ時間を共有できることを笑顔で歓迎した。

「原がいなかったら、僕もどこかで満足していたかもしれない。同じチームになって成長した部分をお互いに感じると思うので、刺激しあいながらまた切磋琢磨していければ」

 世界へ羽ばたく若手の登竜門として長く位置づけされてきたU-20ワールドカップを皮切りに、主力を担う世代となる3年後の東京五輪、そして年齢制限のないA代表での戦いへ。「盟友」と書いて「ライバル」と読む間柄にある原と杉岡は、これからも崇高な火花を散らしていく。

(取材・文:藤江直人)

フットボールチャンネル

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Yahoo!ニュースからのお知らせ