ここから本文です

【ヤクルト】真の復活なるか 由規が懸命に集め続けた「お守り」

5/20(土) 11:00配信

文春オンライン

9年前、戸田グラウンドで由規と増渕竜義の2人は……

 忘れられない光景がある。2008年7月のことだった。

 埼玉・戸田総合グラウンド。2人の若者が力のこもったキャッチボールをしていた。お互いに大きく振りかぶって、容赦のないスピードボールを相手の胸元目がけて投げ込んでいる。ともに無言で、試合本番さながらの剛速球を投げ続けている。それはあまりにも真剣で、周囲の者を容易に近づけさせない鬼気迫る光景だった。このとき、2人の若者が背負っていたのは、背番号《22》と《11》。2年目の増渕竜義と、ルーキーの由規だった。当時、増渕は20歳で、由規はまだ18歳だった。

 このとき、彼らの前には無限の可能性と明るい未来が広がっていた。増渕は06年高校生ドラフト1巡目、対する由規は5球団競合の末に07年高校生ドラフト1巡目でヤクルトに入団。しかし、あれから9年が経ち、状況は大きく変わった。増渕はすでにユニフォームを脱ぎ、由規はプロ10年目、中堅選手の域に差しかかっている。黙々と力強いキャッチボールを行っていたあのときから、かなりの時間が流れていた。

 プロ入り直後の由規は周囲の期待通りの成長曲線を描き続けた。ルーキーイヤーにプロ初勝利をマークすると、2年目の09年には5勝、3年目には12勝を挙げた。しかし、プロ4年目となる11年9月を最後に、由規はマウンドから姿を消す。12年には右肩痛を発症し、左ひざの剥離骨折を経験し、翌13年には右肩関節唇損傷により、クリーニング手術を受けた。

 当初は「来年こそは神宮のマウンドに」という思いを胸にリハビリを続けたものの、状況は一向に改善せず、ただいたずらに時間だけが過ぎていく。気がつけば4年が経ち、そのまばゆいばかりの光彩は次第に光を弱めていった。こうして15年オフ、由規は支配下枠を外れ、育成契約を結ぶことになった。背番号は慣れ親しんだ《11》から、11に11を掛けた《121》へ。事実上の「最後通告」だった。

1/2ページ

最終更新:5/20(土) 11:00
文春オンライン

記事提供社からのご案内(外部サイト)

世の中を驚かせるスクープから、
毎日の仕事や生活に役立つ話題まで、
"文春"発のニュースサイトです。