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荒々しく豪快なのが最高!見に行きたくなる甲府城のワイルド石垣

5/22(月) 19:10配信

サライ.jp

文/萩原さちこ

山梨県甲府市にある、甲府城。甲府といえば武田信玄を連想しますが、甲府城は1582(天正10)年の武田氏滅亡後に、豊臣秀吉が家臣の加藤光泰や浅野長政・幸長父子に築かせた城です。

1590(天正18)年に江戸入りした徳川家康を牽制することが目的で、いわば秀吉政権の甲府支社といったところ。秀吉配下の家臣が持つ技術で築かれ、浅野家の家紋瓦のほか、秀吉が家臣に使用を許した金箔瓦も発掘されています。

■関ケ原合戦前に築かれた希少な石垣

甲府城の大きな魅力は、石垣です。1590~1600(文禄2~慶長5)年に浅野家によって積まれたと考えられる石垣は、荒々しく豪快な野面積み。同年代に築かれた全国の石垣と比べて残存度が格段によく、本丸、天守台、稲荷曲輪を中心に広範囲で見られます。多くは高さ5メートル程度のものですが、なかには10メートルを超えるものもあります。

実は、関ケ原合戦前に築かれた石垣は、全国的に希少です。甲府城が築かれているのは、甲府盆地北部の扇状地末端にある独立した丘陵。安山岩の岩盤上に直接積まれた石垣が多いため、地震などの影響を受けにくかったようです。

石垣に使われた石は、甲府城のある丘陵のほか、愛宕山西面から切り出して運んだとみられます。数寄屋曲輪などからも石切場(採石場)が見つかっています。石材の調達には困らなかったということでしょう。

■注目ポイントは、反り

石垣の注目ポイントは、反りです。甲府城の石垣は直線的なものが多く、たとえば鉄門脇の天守曲輪の石垣は、上部に向かって鋭くのびています。このような勾配のない石垣は高さを出すことができず、つまりは古い時代の積み方と推定できます。城内には反りのある石垣もあり、石を割る際の矢穴にも時代差を示す違いも。

見比べながら城内をのんびり歩くのも、楽しいものです。勾配が55~60度と緩いのも特徴で、これも古い時代の石垣であることを示します。

天守台は台形で、修復整備はされているものの、野面積みの石垣が残っています。歪みが大きく地形に沿っているのが特徴で、四角形や長方形の一般的な天守台とは異なり、四隅が鈍角か鋭角になっています。地形上の理由に加え、石垣の築造技術が未発達であったからなのでしょう。甲府城に天守が存在したかは明らかになっていませんが、天守台の大きさから推定すると、もし建っていたならばかなり大きな天守になります。

甲府駅南口を出て少し歩くと、すぐに壮大な石垣が見えてきます。駅から徒歩数分で訪れられ、舞鶴城公園として整備された歩きやすい城なのもうれしいところです。

『甲府城』(「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」)
■所在地/山梨県甲府市丸の内1丁目
■アクセス/JR中央本線・甲府駅南口から徒歩約5分

文/萩原さちこ(はぎわら・さちこ)
城郭ライター・編集者。小学2年生で城に魅せられる。青山学院大学卒業後、広告代理店や制作会社を経て独立。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座など行う。おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波書店)、『図説・戦う城の科学』(SBクリエイティブ)、『江戸城の全貌』(さくら舎)など。 東京都生まれ。公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。

最終更新:5/22(月) 19:10
サライ.jp