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「ストーリーテリングの変革は、まだこれからだ」:グレイのビッキー・マグワイア氏

5/23(火) 8:10配信

DIGIDAY[日本版]

ビッキー・マグワイア氏は、「できそこないで、陳腐で、男性的」と、同氏が呼ぶ、広告の世界の固定概念と戦いながら、キャリアを積んできた。28歳でこの業界に入ったマグワイア氏は、これまでに3カ国13社以上のエージェンシーで働いている。

2017年3月にグレイ(Grey)の共同最高クリエイティブ責任者に就任したマグワイア氏は、2016年には優れた広告やエージェンシーを表彰する団体、クリエイティブ・サークル(Creative Circle)で初の女性議長に選ばれている。

ロンドンのイーストエンドでスイーツの店も営んでいる同氏に、トップに登り詰めるまでを語ってもらった。このストーリーには、長さを整えて内容を明確にするために少し編集を加えている。本記事は以降、彼女の一人称でお届けする。

私はレスターの労働者階級の家庭の出身です。アイルランド人である父親譲りの口達者で、小さい頃から市場の屋台で働きながら、早口でまくし立てて商品の値段をつり上げる術を身につけていました。学校の成績は振るわなかったが、人の話し方を聞く耳は肥えていた。皮肉なことに、いまこうしてライターをやっているけれど、英語の成績は平均以下でした。

学生時代にポール・スミスと出会う

最初はファッションの道に進みたくて、ファッションの学位を取ろうとニューキャッスル大学に入学しましたが、そのとき私はとんだ間抜けだった。絵が描けなかったのです。幸いにも、デザイナーのポール・スミスと出会い、私のアイデアを彼が絵にしてくれました。卒業後、就職先を見つけることに問題はなかったが、どこの大手ファッションブランドに入ってもすぐに解雇されてしまいました。これは私にとっては想定外の出来事で、驚きでした。しかし、職場を去るようにと、丁寧に言われるほど、私はどんどん失敗を恐れなくなっていきました。

当時、広告代理店という仕事があることは知りませんでした。ハウエル・ヘンリー・チャルデコット・ルリー・アンド・パートナーズ(Howell Henry Chaldecott Lury and Partners)の人たちと知り合いになり、楽しそうな本やオモチャに囲まれて、デスクのうえに足を投げ出して座っているだけの彼らが、多くの報酬を得ているところを見るまではね。ほかのことにはことごとく失敗していたので、私は思い切って広告の世界に飛び込むことにしました。

それからの数年間は、自分のエネルギーと素朴さを頼りに働きました。タダ働きも厭わなかったし、トーストと紅茶だけの暮らしでも全然気にしませんでした。その当時は、広告について知識も経験もない労働者階級の若い女性として、自分がどれほど異質な存在だったかに気付いていなかったのです。ファッション業界にいた頃は、たとえばヴィヴィアン・ウエストウッドのように、会社を経営している強い女性たちのもとで働いてきました。彼女たちはオフィスのドアに自分の名前を掲げ、人からナメられることもなかったが、私が行き着いた先は、奇妙で古くさいボーイズ・クラブだったのです。自分で声を上げなければ、すぐに衛生用品か赤ちゃん用品を押しつけられてしまったでしょう。

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