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【U20】「ハーフではなく“ダブル”」。異色GK山口瑠伊が抱く2つの祖国への思いと両親が語るルーツ

5/23(火) 12:02配信

フットボールチャンネル

 U-20日本代表メンバーの中で唯一の海外組であるGK山口瑠伊。フランス人の父と日本人の母を持つ守護神は、いかにして育まれたのか。韓国まで息子を応援に来た両親の言葉、そして本人の証言によってベールに包まれた青年のルーツに迫った。(取材・文:舩木渉【水原】)

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●GKへのこだわりは父の影響。発見した柔道との共通点

 現在韓国でU-20W杯を戦っているU-20日本代表の選手たちの中で、唯一ヨーロッパのクラブに所属している選手がいる。GKの山口瑠伊だ。

 フランス人の父と日本人の母のもと、パリで生まれて生後6ヶ月で来日。その後は東京で育った。3歳の頃、柔道と剣道で師範代の資格を持つ父の影響で柔道を始め、サッカーを始めたのは5歳のころだった。

 小学生になった頃からポジションは一貫してGK。本人は「ちょっとだけFWもやっていた」と言うが、母・浩美さんは「試合の日はいつもGKのウェアを着て、GKグラブをはめて集合場所に行っていたんです。チームの監督は他のポジションでも使おうと思っていたようですが、本人が『GK以外やらないぞ』みたいになっちゃっていて…」と回想する。

 父・ヴァンサンさんも「チームのユニフォームは関係ない。忘れるくらい(笑)」と、山口のGKへのこだわりを語っていた。

 そもそも山口がGKに興味を持つようになったのは、父の影響で始めた柔道との共通点を発見したからだった。

「初めてGKをやって、体を投げ出してセーブする時に『ちょっと柔道っぽいな』と思ったんです。それからずっとGKです。柔道とGKのプレーにはちょっと似ているところがあります。自分の体を地面に捨てる時とか、怖くないですから。ここ(アスファルト)に飛べって言われても飛べますよ」

 柔道を辞め、サッカーだけに絞ったのは11歳の頃だったという。理由は「サッカーが一番楽しかった」とシンプルなものだったが、この決断も考え抜いたものだった。ただ、父・ヴァンサンさんは柔道ではなくサッカーを選ぶことは、山口が6歳の頃からわかっていたのかもしれない。

「ルイくんが6歳のとき、私は『夢を絶対に叶えるんだったら、何をしたい?』と言ったんです。3ヶ月くらいして彼は答えました。『お父さん、わかった。この人生、GKでプロになりたい。ダメだったら医者になる』と。私は『勉強がうまくいけば、サッカーでもなんでもやってOK』と伝えました。勉強をちゃんとしていれば、毎日何時間でもサッカーしていい。6歳のときがスタートでした」

●「ハーフではなくダブル」。日仏のアイデンティティを大事にする教育方針

 サッカー一筋になった山口は小学校卒業と同時にFC東京U-15深川に入団し、その後FC東京U-18昇格を掴み取ったが、高校1年の夏に再び大きな決断を下す。

「日本でやっていた時に限界を感じました。フランス学校とサッカーを一緒にやっていて、時間的にも移動が毎日2、3時間くらいあって、それは無理だなと思って。勉強も全然進まなくなってしまったんです」

 山口は両親の「ハーフではなくダブル。フランス人でもあり、日本人でもあるという2つのアイデンティティをポジティブに育てたい」という教育方針のもと、幼稚園の頃からフランス政府の支援によって設立された東京国際フランス学園に通っていた。

 日本とフランスの文化や言語などを同時に学んでいくには時間が足りなすぎた。本人も勉強とサッカーの両立に限界を感じていた。そこでどちらも中途半端なままではいけないと家族で話し合い、模索したのが、父の母国フランスのクラブへの移籍である。

 フランスの育成組織は学業にも力を入れており、父の地元ブルターニュ地方に本拠地があるロリアンは特にサッカーと学業の両立を大切にするクラブだった。寮と学校が同じ建物の中にあり、少人数で高いレベルの教育を受けることができる。さらに歩いてすぐのところにロッカールームや練習場があり、サッカーにも集中できる理想の環境だった。

 母・浩美さんも「主人のフランスの文化も大事にしたいし、私たちの日本の文化も大事にしたいし、そういう意味で両方になるべく時間を割くためには、これが一番の選択肢だったのかなと思います」と、息子の決断を後押しする。

●サッカー選手ではない「プランB」。日本代表を選んだわけ

 両親の教育方針のおかげもあり、勉強とサッカーの両立は山口にとって当たり前のものになっていた。自立してフランスでも学業に励んだ末、昨年6月に高校を卒業し、自らインターネットで探してきた「グルノーブル・エコール・ド・マネジメント」というビジネススクールの通信教育課程に入学する。

 優秀な成績で高校を卒業した山口は、トップアスリート枠で15人しか入学できない学校に、サッカー選手としてただ1人合格を果たした。「サッカーって何が起こるかわからない。怪我とかもあり得ることなので、『プランB』を持っています」と語る通り、選手としてのキャリアを終えた後の夢、「プランB」は医者から経営者に変わった。

 もちろんフランスへ渡ってから、サッカー選手としても順調に成長を続けている。フランスでの登録名は父の姓を使い「ルイ・テボー」だ。

「(フランスでは)メンタリティが一番変わったと思います。『とにかくゴールを入れさせないこと』はフランスでよく言われていて、そのために1日1日練習しています。(日本では)GKとしてのディフェンスだったり、テクニックだったりが重視されていて、フランスに行ったら『ゴールを守る』ところをより意識するようになりました」

 フランスでGKとしての本質に気づき、高いレベルの選手たちと日々鍛錬を積んでいる。今季はロリアンのリザーブチームに所属していた。そしてU-20日本代表としてW杯のメンバーに選出され、FC東京U-18時代のチームメイトでもある波多野豪らとしのぎを削っている。

 山口がフランス代表ではなく「日本代表」を選んだのも「やっぱり16年以上日本で育っていたので。フランスに帰るのは毎年夏休み1ヶ月くらい。日本にいた時間の方が絶対に長いから」と自然な決断だった。

●「ここに立っているのは親のおかげ」。山口が語る両親への感謝

 フランス人と日本人の“ダブル”として、2つのアイデンティティを大切にできるよう育て、将来のために勉強をおろそかにしないよう自立させる。要所の決断を息子自身に任せ、人生において何がしたいのかのびのびと考えさせる両親の教育は、山口瑠伊という1人の青年の人間性を豊かに育んだ。

 父・ヴァンサンさんはこれまでと同じように息子を厳しくもやさしく見守っている。

「彼が本当に幸せを感じられればそれだけでいいです。楽しんで戦ってほしい。私はルイくんが日本のために戦っている、それだけで嬉しいんです。私は日本が大好きですから、ルイくんが日本代表を選んでくれたことは私にとっても本当に嬉しかった。もちろん誇りですが、まだまだ弱いので頑張らなきゃいけない。それは彼もわかっていると思います。彼のターゲットやビジョンはもっと先にあるはずですから」

 母・浩美さんもヴァンサンさんに同意し、世界の舞台で戦う息子にエールを送った。

「自分たちにできることはもうやったので、あとは(瑠伊が)自分で納得出来るまで突き詰めて、納得して幸せだったらそれでいい。(W杯の舞台に立つ息子を見るのは)嬉しいですね」

 山口も「ここに立っているのは親のおかげです」と両親への感謝を忘れない。そして「ヨーロッパでいろいろなクラブに行きたいです。いろいろな国に行って、いろいろな経験を積みたいです」とサッカー選手としての将来のビジョンも語ってくれた。

 日本とフランスの“ダブル”で日本代表のGK山口瑠伊。2つの国の誇りを胸に戦う守護神は、サッカー選手として、そして1人の人間として、世界へ大きく羽ばたいていくに違いない。

(取材・文:舩木渉【水原】)

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