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常に英国の都合に翻弄されてきた、アイルランド国境の人々

5/23(火) 9:10配信

HARBOR BUSINESS Online

 EU離脱に揺れる英国。しかし揺れているのは英国だけではない。特に、陸地で国境を接するアイルランド(1973年にEU加盟、ユーロ導入)への影響は甚大だ。日本ではほとんど報じられることのないその現場をリポートする。

◆日常生活の中に浸食していた英国とアイルランドとの戦争

 英領北アイルランドとアイルランド共和国との国境の街・デリー(ロンドンデリー)。市街中心部にある城郭の上に登ると、眼下にはカトリック教徒が集まって住んでいる下町が広がる。隣接するアイルランド共和国ドネゴール郡で年金暮らしを営むエンリ・マッケイは、そこで生まれた。1kmほど先に見えるカトリック教会の尖塔を指差して、自身の生い立ちを語り出した。

「私はあの教会のすぐ目の前で生まれました。周りもみんなカトリック。神父の話を聞いて育った私がやはり神父になるのは、自然なことでした」。学校もカトリックとプロテスタントで分かれている。「そうやって、私たちは子どもの頃から自然に分かれてしまっていたんです」

 普段の生活に、戦争が侵食していった記憶が彼にもある。

「ある夜家路を急いでいたら、闇の中で突然何かにつまずいたんです。なんだろうと思ったら、地に伏せて銃を構えた兵士でした。銃撃戦の音が聞こえ、息を飲んで逃げるように帰ったことを今でも覚えています」

◆カトリックとプロテスタントの抗争の歴史が今も影を落とす

 現在でも、そのトラウマを抱えた住民は多い。

「今日ですら、鮮やかなオレンジ色をしたジーンズ姿の若者を見て、一瞬体がすくんでしまったという年配者もいます」とマッケイはため息をつく。

 オレンジは、1688年にイングランド王座を追われたカトリックのジェームズ2世と1690年に戦ってこれを破り、アイルランド支配とカトリック迫害を強めたプロテスタントのイングランド王、オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)にちなんだ色だ。現在でも、その「功績」を讃える「オレンジメンズデー」(7月12日)にはプロテスタント系住民によるパレードが開催され、カトリック教徒とのいざこざが発生することもある。

 カトリック教徒が集中的に住む下町を歩くと、あちこちで壁画を見かける。そのほとんどが、“The Troubles”(「トラブル」)と称された、20世紀後半における英国による弾圧に戦った地元カトリック系住民の姿を描いたものだ。いかにして彼らが英国に対して戦い、また不当に抑圧され、投獄され、殺されていったかを、圧倒的な写実力で迫る。

 1969年から1972年にかけて、カトリック系の市民がバリケードを築いたボグサイド地区では住民が「自治」を宣言し、英国軍の侵入を阻んだその入り口で、“You are now entering Free Derry”(この先デリー解放区)と大きく書かれた壁が往時を伝える。その先にはフリー・デリー博物館があり、「血の日曜日事件」を中心に「トラブル」について詳細に伝承している。

 訪問者は、表面的には平和なこの街のあちこちに、紛争に起因する文化が深く根づいているさまを目の当たりにするだろう。平和構築を目指す地域住民の心からは、まだ紛争が完全に拭い去られたわけではないのだ。

◆国境をまたいで生活する人々

 アイルランド共和国ドネゴール郡。丘陵地に牧草が広がる片田舎に住むここの人びとにとって、最寄りの都市は英国領のデリーだ。マッケイもドネゴールの住人だが、買い物や妻の仕事などでデリーを日常的に訪れる。ドネガンもバンドの練習などのために国境をまたぐ。デリーのパブでは、どちらに住んでいるかなど関係なく、皆がアイリッシュ・エールビールを飲みながら、アイリッシュ・ミュージックを奏で、あるいはその演奏に耳を傾ける。

 彼らはポンドとユーロの通貨を使い分け、知らずに通過すれば確実に見落とすような大きめの岩で示されている以外、これといって目印のない国境線を自由にまたいで生活している。デリーの市街地では、英国ナンバーとアイルランドナンバーの車が交互に行き交っているのを目にすることができる。

 マッケイの家からデリーの中心地まで、車で約20分。デリーとドネゴールは地方都市と郊外という位置づけになっており、両者が分断された場合、住民のダメージははかり知れない。それがさらには、ようやく近年になって鎮火した紛争の火種を再燃させる可能性もあるからだ。

◆英国のEU離脱で、再び国境の壁が高くなる!?

 何百年もの歴史の積み重ねの上にやっと手にしようとしている和解と平和。その土台はまだ脆く、住民の平和に対する気持ちと努力によってかろうじて保たれている。加えて、EUの「統合」や「仲介」という機能がこの地域の平和構築に果たしてきた役割は、死活的に大きい。この要石がなくなったら、この地域の住民は一体どうなってしまうのだろうか。

 英国、アイルランド、EUの誰もが、英国のEU離脱による英・アイルランド国境管理の強化を望まない声明を発表している。しかし全体として、英国はできるだけソフトに離脱しようとしているのに対し、EUは「いいとこ取りは許さない」と厳しく臨む。交渉次第では、仕事に行くにも買い物をするにも長い列に並んでパスポートや税関のチェックが必要になるという可能性がないわけではない。

 デリーからドネゴールの家に帰る途中、マッケイは「かつてはここに検問所があって、いつも長い行列ができていたものです」と当時を懐かしむように語りながら国境をまたいだ。英国のEU離脱で、再び国境の壁が高くなるかもしれない。常に英国の都合によって振り回されてきた、アイルランドの歴史を噛み締めるかのような一言だった。

<取材・文・撮影/足立力也(コスタリカ研究者。著書に『丸腰国家~軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略~』など。コスタリカツアー(年1~2回)では企画から通訳、ガイドも務める)>

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最終更新:5/25(木) 17:53
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