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FA杯はCLと同等の価値あり。軽視された「史上最古の大会」がもたらす世界最高の名誉【東本貢司の眼識】

5/26(金) 12:08配信

フットボールチャンネル

現地時間27日、チェルシー対アーセナルによるFAカップ決勝が開催される。近年はチャンピオンズリーグのグローバル化によって、FAカップの価値は薄れてしまっている。しかし、史上最古のフットボールイベントであり、世界中の選手、監督の夢でもある。FAカップはチャンピオンズリーグと同等の価値がある名誉ある大会なのである。(文:東本貢司)

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●リーグ創設の20年前から行われていたFAカップ。近年は価値が薄れ…

 近年「FAカップ」の“旗色”が薄れかけている。この、史上最古のフットボールトーナメント、いや、史上初のリーグ戦(現在のプレミアリーグに当たるイングリッシュリーグ:1888年創設)創設よりも20年近く前に始まったのだから「最古のフットボールイベント」と呼ぶべき誉れ高い大会に、かつて筆者が文字通り度肝を抜かれた体験のイメージほどの「価値」が置かれなくなってしまっている。正直、寂しい。

 まずは筆者の「体験」、すなわちその郷愁めいた二つの記憶を振り返ろう。一つは、初めて現地で接した1970年FAカップ決勝。無敵正統派のリーズ・ユナイテッドに、カジュアルで無頼なダークホース的存在のチェルシーが挑んだ、熱闘の2試合。そう、ウェンブリーでは決着がつかず、オールド・トラッフォードに舞台を移しての再試合にもつれ込んだ、今生無比の火花飛び散る対決――そのインパクトはあまりにもデカかった。

 もう一つは、その一年後、70年大会ではまだ在英して間もないエトランジェだったために気が付く由もなかった「FAカップというイベントのとてつもないサイズ」である。ゲーム前日、TVのニュース番組はFAカップ一色同然、当該両チームの地元の熱狂と興奮はもちろん、各界著名人による「どうなるこうなる」の予想と応援合戦など、手を変え品を変えのライヴエピソードがこれでもかと繰り広げられて、まさに息つく暇もなかった。

 なんだこれは、と多分に当惑しつつも、今思えば、そのときから筆者はイングランド人たちの愛すべき“局所的”なこだわりと入れ込み具合にいっぺんにほだされ、かの地の暮らしに充実感と安らぎを温め、積み重ねていくことになったのだと考えている。

●「世界で最も価値がある」。ヴェンゲル監督も語るFAカップの重要性

 所詮は個人のきわめてプライベートな感傷――それでけっこう。事実だ。しかしながら、以来、帰国してからの年月を経ても、その思いと衝撃は決してちっぽけな独りよがりではなかったことを、折に触れて確認することになる。

 それは、70年代終盤を境に増え始めた、主にヨーロッパ大陸発・異邦のプレーヤーたちの口から例外なく発せられた「FAカップ決勝のピッチに立つことの、例えようもない誇りと感激」の肉声である。筆者とはとうてい比べ物にならない“キャリア”で、彼らは明らかに幼少の頃からFAカップ・ファイナルへの憧れを育んできたに違いなかった。

 例えば、2001年の決勝を控えて、アーセナルのスウェーデン人、フレデリク・リュングベリは上気してこう述べている。「夢が叶った。子供の頃からTVで毎年欠かさず観てきた夢の舞台にプレーヤーとして立てる。最高の名誉だ」

 時は流れて1998年初夏、晴れて「FAカップ決勝の現地実況解説」という望外の名誉をあずかり、試合前々日、ロンドン郊外の会場ホテルにて開かれたアーセナルの記者会見を体験したことも忘れられない。

 アーセン・ヴェンゲルとはすでに知己の間柄だった。とはいっても、実際に言葉を交わしたのはたったの一度。それでも記者会見直前のホテル前庭でばったり出会ったとき、彼は笑顔で歩み寄って声をかけてくれ、遠路の旅への労いの言葉とともに、日ごろ顔を合わせる知人友人たちですら気にも留めなかった筆者のある“変化”を目ざとく指摘しながら、しばし歓談の暇を割いてくれている。改めて私事ながら「FAカップさまさま」である。

 おそらくは、この“出会い”も少しは影響したのだろうか。記者会見において、ヴェンゲルはこう宣ったのだ。「わたしは果報者だ。フランスカップを獲り(モナコ)、日本の伝統ある天皇杯を獲り(グランパス)、そして今、世界で最も価値のあるFAカップを獲得する機会を与えられた。そのまぎれもない事実に心から感謝したい」

●CLのグローバル化の波に飲まれたFAカップ。価値低迷の要因に

 いやはや結局はさもしい自慢話になってしまったことは切にお許しいただき大目に見ていただくとして、この(FAカップに対する)ヴェンゲルの思いの丈は、決して彼だけのものではない。2000年にそのヴェンゲルを相手取ることになったリヴァプールの将、ジェラール・ウリエは、マイクル・オーウェン以下を前にこうハッパをかけたという。

「いいプレーをすれば今の君たちは無敵だ。世界最高の“TV放映イベント”でプレーできるプライドと喜びを表現すればそれでいい」

 そしてヴェンゲルの返答はといえば…、「我がプレーヤーたちはこう言っている。対スパーズ準決勝でさえ、ワールドカップの決勝戦などとは比べ物にならないプレッシャーと誇りを感じた、と。この世界に、同じスピリット、同じポジティヴな情熱でチームがひとつになれるイベントは、このファイナルを置いて他にない」!

 そんな、今振り返ると仰々しいほどのかつての「FAカップ礼賛談話」が今も頭の隅っこで折に触れてこだまする筆者だからこそ、近年の“降格イメージ”がつとに恨めしくて仕方がない。さて、当時と今とでは何かが変わっているか? レベル、多様性、技術的・戦術的進化…確かに。だが、問題の本質はそんな“目に見えるあざとさ”ではない。

 言うまでもなく、元凶は今や世界最高の“スーパーリーグ”化したUEFAチャンピオンズリーグ、そのファイナルの“我が世の春”である。要するに、音を立てて傲然と加速するグローバル化の大波。そして、当初こそFAカップ覇者に授けられていたチャンピオンズ参戦権も、いつの間にかUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)の方にシフトダウンされて…。

●FAカップはCLと同等の価値を持つべき

 いや、違う。違うのだ。よ~くお考えいただきたい。チャンピオンズは“所詮は”参加資格を得られるプレミア上位常連のエリートクラブにしか縁がないものだろう。すなわち、イングランドに存在するプロ全92チームの、わずか6%かその辺り。全土にひしめくアマも含めたフットボールチームまで数えると、およそ夢物語の途方もない高嶺の花…。

 しかし、FAカップなら少なくとも「必ず」参加できる。ということは、由緒正しき世界最古のフットボールイベントの「頂点」に立ち、歴史にその名を刻み込む夢も、決して夢に終わらない。当たり前のことを述べているようだが、その「夢」の持つオーラとエナジー、ひいてはその「夢」に近づいたときの喜びは、想像を絶して計り知れない。

 ひいては、FAカップは数多の全フットボール人、フットボールファン、庶民のためのものだということだ。チャンピオンズが、フォーブズの長者番付に居並ぶごく少数のビリオネアたちや、世界経済を牛耳る一握りの多国籍大企業にも似て、どこかでこのスポーツの本質から逸れてしまいつつある印象を禁じ得ないことを思えば、なおさらである。

 チャンピオンズの価値を軽んじるつもりは決してない。だが、FAカップのそれは別のアングルから見て、少なくとも「同等」であってしかるべきではなかろうか。

 目前の2017年決勝では、マンチェスター・アリーナのテロ事件によってかつてなく警備強化されるはずのウェンブリーにて、チェルシーとアーセナルのロンドンオリジン同士が雌雄を決する。

 あえて言うなら、勝敗そのものにさしたる違いはない。アーセナルが敗れたらヴェンゲルが辞める? 筆者は疑問だ。なにゆえ、ヴェンゲルが自らの去就問題をここまで引っ張ったのか。それは、この「至高のカップファイナル」への限りない敬意と、それを意気に感じるプレーヤーたちのハートを確かめたいがためではないか。

 ならば是非とも、全世界のフットボールファンを固唾とため息の飲み込みっぱなしにさせてしまう「至高のイベント」を、栄えある両軍に演じ切ってほしいものである。

(文:東本貢司)

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