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50のシングルの誕生秘話が一つの物語に。『コイズミシングル~小泉今日子と50のシングル物語』著者インタビュー

5/26(金) 17:30配信

ダ・ヴィンチニュース

 小泉今日子の歴代シングルを3枚組50曲で完全網羅した『コイズミクロニクル~コンプリートシングルベスト 1982-2017~』(ビクターエンタテインメント)。その初回限定盤プレミアムBOXに収録される書籍が『コイズミシングル~小泉今日子と50のシングル物語』。全シングル制作に携わった関係者への総力取材で、小泉今日子の音楽史を紐く全368ページのメイキング本だ。

 今回は、同書で約70人ものミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家、ディレクターなどの証言をまとめ上げ、一つの物語として仕上げたライターの松永良平さんにインタビュー。同書の成立過程や、そこで披露されたエピソードの裏側を聞いた。

――松永さんご自身は、いつ頃から小泉さんの曲を聞いていたんでしょうか?

松永 僕は年齢的には小泉さんの少し下で、音楽は好きだったんですが、はっきりと曲を認識したのは中学生になってからで、『まっ赤な女の子』『艶姿ナミダ娘』といった楽曲を「すごくいい曲だな」と思って聞いていました。5歳下の弟とお風呂で歌ったりとか(笑)。田舎の中学生なりに、ここを境に小泉さんの曲が明らかに新しいサウンドに変わったことはわかったし、弟は弟でなによりキャッチーで歌ってて楽しい曲だから一緒に歌ってたんだと思います。それ以降も、その時々で面白いことをしている小泉さんが気になっていましたし、『あまちゃん』も凄く好きで見ていましたね。

――今回の『コイズミシングル~小泉今日子と50のシングル物語』では、70人ほどの関係者にインタビューやアンケートを行ったそうですが、特に印象に残っているエピソードは何でしょうか?

松永 意外性という意味では、初代ディレクターの髙橋隆さんのお話ですね。多くの人が持っているアイドル・小泉今日子のイメージは、『まっ赤な女の子』以降のものだと思いますが、髙橋さんからはそれ以前の小泉さんの姿や、デビュー当時のスタッフが考えていた方向性について聞くことができました。いきなり『まっ赤な女の子』以降の話から始まると、小泉今日子というアイドルがミュータント的な存在に見えると思うんですが、髙橋さんの話す最初の4曲のエピソードが入ることで、70年代と80年代の歌謡曲・アイドルを橋渡しすることができたのかなと思います。

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