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FC東京・米本拓司、大怪我からの復活劇。3度の長期離脱経て変化した姿勢

5/27(土) 9:00配信

フットボールチャンネル

 Jリーグ屈指のボールハンター、MF米本拓司(FC東京)が悪夢の大けがを乗り越えて、トップフォームを取り戻しつつある。過去に2度、左ひざの大けがで長期離脱を強いられた米本は、昨夏に今度は右ひざに全治8ヶ月の重症を負って戦線離脱。それでも手術と過酷なリハビリを乗り越えてピッチへ戻り、24日の柏レイソルとのYBCルヴァンカップでは復帰後で初めて先発フル出場を果たした。リーグ戦への復帰も秒読み段階に入った26歳の元日本代表が胸中に抱く、静かなる思いに迫った。(取材・文・藤江直人)

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●「自分に関わってくれたすべての人に感謝したい」

 左足がつっていた。これまでに2度、2010年と2011年にひざの前十字じん帯を損傷し、それぞれのシーズンをほぼ棒に振った古傷。それでも、FC東京のMF米本拓司は充実感を覚えていた。

「不安はありましたけど、ベンチのメンバーも準備してくれていたので、すべてを出し切ろうと。いけるところまでいって、足がつったりしたら交代しようと思っていたけど、体力的にもってくれたし、最後は何とかごまかしながらできましたね」

 柏レイソルのホーム・日立柏サッカー場で24日に行われた、YBCルヴァンカップのグループリーグ第6節。右ひざの前十字じん帯断裂および内側側副じん帯損傷の大けがから復帰後で初めて、米本は先発フル出場を果たした。

 相手選手へタックルした刹那に右ひざが絶望的な悲鳴をあげたのは、昨年7月23日の川崎フロンターレ戦。3度目の悪夢に見舞われても、しかし、米本は必死に前を向いた。

 翌8月にはスペインへ渡り、バルセロナ市内のオスピタル・キロンで手術を受ける。FCバルセロナの選手たちや、2011年には右ひざ半月板を損傷した日本代表FW本田圭佑(当時CSKAモスクワ、現ACミラン)の手術を執刀してきた世界的なひざの権威、ラモン・クガット医師に復活を託した。

 診断の結果は全治8ヶ月。そのまま最新鋭の理学療法機器がそろったオスピタル・キロンでリハビリも開始した。年が明けて迎えた4月30日。FC東京がU‐23チームを参戦させている、J3のAC長野パルセイロ戦の後半32分からピッチに立った。

 以来、J3のFC琉球戦で今度は先発。10日の大宮アルディージャとのYBCルヴァンカップではトップチームで途中出場と、段階を踏みながらハードルを高く設定しては確実にクリアしてきた。復帰へ向けて周到なプランを練ってくれたチームに、米本は感謝の思いを寄せる。

「変な言い方かもしれないですけど、本当に大事に、段階を刻みながら僕のことを扱ってくれたので。そのなかで90分間出られたことで、チームメイトやトレーナーをはじめ、自分に関わってくれたすべての人に感謝したいですね」

●指揮官の期待を背に受けて90分フル出場

 米本を先発として送り出した篠田善之監督も、万感の思いを胸中に募らせていた。米本がスペインで手術を受けた直後には「精神的にもきついと思うけど、彼ならば必ずピッチに戻ってくる」と熱いエールを送った指揮官は、レイソル戦を前にある覚悟を決めていた。

「自分のなかでは、彼は90分間できると思っていた。多少無理でも、ピッチのうえに最後まで立たせたいという思いがありました」

 たとえるならば、J1の戦いへステップアップするための最終試験。指揮官の期待を背に受けた「7番」は激しく、勇敢に戦った。リーグ戦で出場機会が少なく、プレーに飢えているレイソルの外国人トリオ、ディエゴ・オリベイラ、ハモン・ロペス、そしてドゥドゥと真っ向から対峙した。

 特にオリベイラとは幾度となく肉弾戦を繰り広げ、後半20分に米本がイエローカードをもらった。1点リードで迎えた後半アディショナルタイムには、オリベイラが振りあげた右足が米本の顔面を直撃しかけるあわやの場面もあった。

 それでも、怯まない。サッカーができなかった時期に比べれば、ピッチのうえに立てる時間がどれほど幸せなことか。チームの勝利のために逃げなかった米本の勇気が、逆にオリベイラのファウルを誘った。

「相手がイライラしていたので、逆にありがたかったですね。ああいう相手とやるのはすごく楽しいけど、イエローカードがちょっと余計でした。ああいう場面でファウルなしでボールを奪えるように、いろいろと駆け引きをしながら突き詰めてやっていきたい」

 2度目の大けがを負った影響もあって、出場資格のあった2012年のロンドン五輪の舞台に立つチャンスを逃した。当時の心境を、こんな言葉で表現したこともある。

「2回目にやったときは『サッカーをやめようか』というくらい落ち込んだこともあったけど……やっぱりサッカーがやりたいという気持ちが一番でした」

●復帰までの10ヶ月間で見えてきたもの

 2度目となる過酷なリハビリと向き合う米本を常に励ましてくれた、父親の和幸さんが復活を見届けることなく他界する悲しみにも襲われた。ピッチに帰ってきた2012年3月17日の名古屋グランパス戦。サポーターに勝利を報告していた米本は、突然目頭を押さえはじめた。

「ピッチに出るとき、父のことを思い出していました。父がずっと僕のことを支えてくれた。できれば父が生きている時に復帰したかったけど……多分、上(天国)で見てくれていると思うので。もちろん、これが最後じゃない。もっと、もっと上から僕のことを見てほしい」

 ボールへのアプローチの速さ、ボールを奪う力、そしてミドルレンジからの強烈なシュート。時間の経過とともに、サッカー界へ衝撃を与えたルーキーイヤーの2009シーズンに魅せた能力を、さらにスケールアップさせていった米本はヴァイッド・ハリルホジッチ監督の構想にも入った。

 初陣だった2015年3月のチュニジア、ウズベキスタン両代表戦でバックアップメンバーに名前を連ね、同年5月に国内組だけを集めて開催された代表候補合宿にも招集された。

 ようやく立てた、ワールドカップ・ロシア大会へのスタートライン。「代表を意識するとけがをしちゃうので」と努めて平静をよそおいながらも、米本は胸中に抱く日の丸への思いを静かに語ってくれた。

「運動量や中盤での守備が買われて代表候補に入ったと思うので、それに何かをプラスアルファしていかないと。攻守両面でチームに貢献することが求められるなかで、自分の課題は特に攻撃面でスイッチを入れる役目を果たせるかどうか。もっと上のレベルへいけるように、チームで頑張っていきたい」

 だからこそ、3度目のけががどれだけのショックを与えたことか。右足に重症を負ってからトップチームでフル出場を果たすまでの約10ヶ月間を、米本は「長かったですね」と穏やかな笑顔とともに振り返る。

「いろいろと現実を考え始めたというか。夢ばっかりを追いかけていても、意味がないのかなと。いまサッカーができるというか、目の前のことを全力でやるということが見えた10ヶ月だったと思います」

●「J1で優勝することが恩返しだと思う」

 プロサッカー選手である以上は、誰もが日の丸を背負って戦うことや、テレビの向こう側の世界だったヨーロッパの舞台でプレーすることに憧憬の念を抱く。米本が口にした「夢」も、まさに代表入りや海外移籍にほかならない。

「代表や海外というのを目標にしてやっていましたけど、いまは本当にけがをしないこと、あるいは目の前の試合に自分が出るためにはどうするとかを考えています。先を見るのではなく、目の前にあることをしっかりやるのが大事なんだと」

 決して夢をあきらめたわけでも、捨て去ったわけでもない。小さな目標をひとつずつ、確実に乗り越えていった先に新たな視界が開けると信じてリハビリに取り組み続け、コツコツとプレー時間を増やし続けた。努力の結晶はいま、篠田監督を十分に満足させるレベルに達している。

「ボールへのアプローチとボールを奪う技術、そして運動量。今日の彼のパフォーマンスは本当に素晴らしかったし、J3やルヴァンカップを小刻みに戦いながら、ようやく本番に、J1の舞台で90分間できる状態で帰ってきたかなと」

 後半39分からは、それまでの4バックを3バックにスイッチ。米本をボランチからアンカーに配置転換して、前方に2人のインサイドハーフを置く布陣でレイソルを完封。31日の清水エスパルスとのグループリーグ最終戦で引き分け以上ならば、決勝トーナメント進出を決められる状況となった。

 ゲームキャプテンを務めたDF吉本一謙によれば、アンカーを置く布陣は「チームでいま、トライしている形」という。守備に長けた米本の復活を待っていたかにのように、終盤にリードを奪ったまま逃げ切るためのオプションもFC東京に備わろうとしている。

「やっぱりJ3よりもギアが1つも2つも上がっていたけど、それでも今日は篠田監督を迷わすようなプレーをしたかった。ここから僕がポジション争いに食い込んでいければ、チームの底上げにもなるので。J1で優勝することが恩返しだと思うので、何ななんでも、という感じで貢献していいきたい」

 90分間における一番の収穫を問われると、迷うことなく「けがなく終われたこと。僕にとってはそうなりますね」と答えた。対戦相手から「怪物」と畏怖されたJリーグ屈指のボールハンターはゆっくりと、そして確実にトップフォームを取り戻している。

(取材・文:藤江直人)

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