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新宿中村屋、日本初のインドカレーは“革命の味”

5/28(日) 9:10配信

HARBOR BUSINESS Online

 1927年(昭和2年)、新宿中村屋が日本で初めてインドカレーを提供したことはカレー好きの間では有名な話。現在の“おうちカレー”のルーツである洋食カレーライスしか知られていなかった1900年代初頭に、中村屋はなぜインドカレーを提供することができたのか? いったい、誰がインドカレーの作り方を教えたのか?

 ……と、中村屋とインドカレーの歴史を紐解くと、ラス・ビハリ・ボースというインド人革命家にたどり着きます。このボースこそが中村屋にインドカレーを教えたその人であり、看板メニューである「純印度式カリー」の歴史はここから始まったのです。

 さて、中村屋はボースとどんな関係にあったのでしょうか。実は、中村屋の創業者・相馬愛蔵氏は、ボースを政府や警察から必死にかくまい続けた“命の恩人”だったのです。

◆日本政府からインド人革命家をかくまった理由とは!?

 ここでいくつか疑問が出てきます。

1、どうして政府や警察からかくまわなければいけなかったのか?

 その頃の日本はイギリスと日英同盟を組んでいました。イギリスからのインド独立を目指す革命家は、日本にとってもアウトな存在。ボースは日本政府から国外退去を命じられていたのでした。

2、なぜ中村屋は日本政府に背いてまで、革命家をかくまったのか?

 当時の日本では「アジア解放運動の志士を守ろう」という動きが民間で高まっていました。その中には、アジア諸民族の団結を目指す「玄洋社」などの政治結社もあり、彼らがインドやフィリピンの植民地支配からの独立を後押しする活動を積極的に行っていたのです。彼らはボースの国外退去命令の報を聞き、ボースを守ろうと動き出しました。そのとき立ち寄った中村屋で、「店の裏の洋館なら彼をかくまえるかもしれない」と相馬氏が伝えたのがきっかけでした。

3、ボースはどうして日本に向かったのか?

 あの時代、すべての面において日本はアジアで圧倒的に強く、欧米列強に対抗できた唯一の存在でした。それに加えて、日本にはインド独立を後押しする玄洋社などの活動もあった。つまり、国を追われた後に彼らが頼ることができたのは日本しかなかったのです。

◆洋食カレーの8倍の超高級カレーが飛ぶように売れる

 さぁいったい、いつ中村屋の純印度式カリーが誕生するのでしょうか……?

 その前に1つの恋物語が生まれます。ボースは相馬夫妻の愛娘、俊子さんと恋におち、ついには結婚することに! さらに国外退去命令がなくなった後は日本に帰化して中村屋の役員も務めるようになるんですね。

 すべてがうまく行くと思われた矢先の1925年。逃亡生活の心労がたたって俊子さんが亡くなってしまいます。26歳の若さでした。悲しみにくれていたボースでしたが、お世話になっている相馬家に恩返しをする時がやってきます。

 そう! 日本で初めてインド式のカレーを販売するという、日本カレー史の新たな一歩がここでついに始まることになるのです!

 中村屋はもともとパン屋でしたが、1927(昭和2)年6月に喫茶を開設します。その看板メニューに選んだのがボースのカレー。カレーライスはハイカラな洋食として人気が高く、純インドカリーは他の店では絶対に食べられない“インドの味”でした。

 最初こそお客は戸惑ったものの、徐々にスパイスの香りに慣れていきました。そしてその香りに惹かれ、しだいに売り上げが伸びていくことに。当時、洋食カレーの8倍もする超高級価格だったのに、1日に200食はオーダーが入るくらい売れたというから驚きです。

 時は流れ、今も多くのカレー好きを虜にする新宿中村屋の純印度式カリー。

 志士の熱い魂が宿ったカレーだからこそ、長い時を経ても決して色褪せることなく、人々を魅了し続けているのかもしれません。

<文・写真/スパイシー丸山(カレー研究家、日本野菜ソムリエ協会のカレーマイスター養成講座講師。手作りカレーを振る舞う『スパイシー丸山のカレー夜会』を定期的に開催。著書に『初めての東京スパイスカレーガイド』(さくら舎)など。ブログ「カレーなる365日」>

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最終更新:5/28(日) 16:14
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