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『夜空はいつでも最高密度の青色だ』映画化はなぜ成功したか? 石井裕也監督と孫家邦Pのつながり

5/29(月) 16:19配信

リアルサウンド

 監督の石井裕也いわく、最果タヒの詩集を映画化するという企画は、リトルモア代表を務めるプロデューサー孫家邦の「無茶ぶり」だったらしい。孫から映画化の話を持ちかけられた最果も、当初はこの大胆な試みにいくぶんか戸惑いを感じたという。

「いったいどうなるのかなって(笑)」

 実は初対面だという石井と最果の対談が『BRUTUS』(17年5月1日発売号)誌上で行われたとき、彼女は自身が考える詩と映画の違いを次のように説明してくれた。詩は読む人によって解釈が異なるほうがいい。一方、映画は状況が具体的に作られていくものだ、と。

「ある意味、詩と映画は正反対のものだから、最初はちょっと不安もありつつ、そこがうまく繋がったら面白くなるんじゃないかなと思っていました」

 でもそこがうまく繋がるとは、映画化が発表された昨年夏の時点では、ほとんどの人が思ってもみなかった。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』で、詩のなかの顔も名前もない「きみ」や「ぼく」は、確かな表情と声を持つ登場人物となって現れる。例えばそれは、石橋静河扮する美香だったり、池松壮亮扮する慎二だったりする。ところがどうだろう? 彼らは、生身の肉体を持ちながら透明度を失わない、現代を生きる「きみ」や「ぼく」に見えやしないか。そこに映しだされているのは、観る人の数だけ無数に存在する、観る人にとっての自分の姿だ。詩の映画化は、その点においてまず、見事な成功を収めている。

 石井は詩集のなかの一篇、あるいは数篇をストーリーに落としこむのではなく、詩の感覚や雰囲気を映画にした。都市の片隅に暮らす若者たちの悲しみや優しさ。それが詩から映画へと持ちこまれた感覚や雰囲気だろう。昼は病院、夜はガールズバーで働く美香と、日雇い派遣労働者の慎二が、出会い、関係を結ぶボーイ・ミーツ・ガールの物語。でもふたりの間にたやすく恋は生まれない。

「恋愛は人間を凡庸にする」

 劇中の美香のモノローグは、最果の詩集にある「恋をした女の子が嫌いだ」(「惑星の詩」)、「そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない」(「青色の詩」)といった一節と響きあう。これは美香の渇いた恋愛観であると同時に、石井が示す時代の価値観でもある。

 現役の日本人監督のなかで、石井裕也ほど自覚的に時代を描いてきた監督はいない、少なくとも同世代において。彼が世に出るきっかけとなったPFFアワード2007グランプリ作品『剥き出しにっぽん』(05)も、商業映画デビュー作『川の底からこんにちは』(10)も、そこに描かれていたのは「失われた20年」の停滞感と、その現実を生きざるをえない若者たちのやるせなさや開き直りだった。日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した代表作『舟を編む』(13)では、三浦しをんの原作に「1995年」という時代設定を加えることによって、デジタル化の趨勢に逆行して紙の辞書作りに励む主人公のひたむきさが強調された。いずれも石井のジャーナリスティックといっていい性質の現れである。

 『夜空はいつでも最高密度の青色だ』も、ところどころに映る普請中の東京の風景から、これが2020年夏季オリンピックへと向かう東京のドキュメントだということがわかる。急ピッチで商業施設の建設が進められる渋谷の様子、震災後に陳腐化してしまった「がんばれ」のフレーズを路上で弾き語る女、病院や水商売、建設などの現場でギリギリに生きる人々。そんな東京のいまを、いまという時代を、石井は夜空から俯瞰するようにして見つめている。

 でもそこからぐっと焦点を絞り、主人公である美香と慎二のふたりに視線を向けていくと、この作品はこれ以上ないくらいロマンティックな恋愛映画の様相を呈しはじめる。ふたりの恋が情熱的なのは、恋愛が決してたやすくない時代の価値観が、前提として十分に描きこまれているからだ。だからこそ、その障壁を乗りこえて距離を縮めていくふたりの関係が、ここではひときわ鮮やかなものに見える。もちろんこのロマンティックさも、例えば『あぜ道のダンディ』(10)や『ぼくたちの家族』(13)で人はどう生きるべきかというテーマに接近してきた石井の、一方で現実を直視しながら、他方で理想を追求する本質だ。本来、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は詩を映画化するという変化球的なたくらみだった。でもできあがった作品は、ジャーナリスティックかつロマンティックな、石井裕也の直球ど真ん中だった。

 やはりここで本企画の言い出しっぺである孫家邦について触れないわけにはいかない。阪本順治、豊田利晃、渡辺謙作、大森立嗣、横浜聡子らの監督作に初期から携わり、企画・製作・配給、あるいはそれ以外のかたちでも、日本映画において類まれな人と作品を生み落としてきたプロデューサーのひとりが孫だ。無頼派で知られるプロデューサー荒戸源次郎のもとで80年代半ばから映画に関わるようになり、古くは阪本順治の初監督作『どついたるねん』(89)や鈴木清順『夢二』(91)にその名がクレジットされる彼だが、昨年11月に逝去した荒戸を追悼する朝日新聞の記事(17年1月28日)にこんな逸話が紹介されている。

「出版社リトルモアの孫家邦社長が荒戸源次郎さんの下に身を寄せたきっかけは、飲み会の席で荒戸さん製作の映画を「金返せ」とこき下ろしたことだった」

 無頼派が継承された瞬間だったのかもしれない。彼が手がけた作品はどれも太い縁のようなものでつながっている。例えば、彼が企画した『PORNOSTAR ポルノスター』(98)で監督デビューを果たした豊田利晃の『青い春』(01)。その打ち上げで孫はひとりの少年と出会い、「いつか映画を撮ろう」と約束して、実際に彼が主演する映画を作りあげている。松田翔太主演、大森立嗣監督作『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(09)だ。大森は荒戸プロデュースの『ゲルマニウムの夜』(05)で監督デビューを飾っていたが、その監督第2作を孫が企画したかたちになる。

 石井の『舟を編む』も、もともとは孫が三浦しをん原作、大森監督作『まほろ駅前多田便利軒』(11)の製作に関わり、同じ三浦の原作を映画化しようとしたことに端を発している。このとき、孫が作品を託したのは、豊田監督作や『まほろ駅前多田便利軒』などで顔を合わせてきた松田龍平と、同じ83年生まれの石井だった。脚本の渡辺謙作も、『夢二』で彼が助監督を務め、その初監督作『プープーの物語』(98)を孫が製作していた縁だ。そのようなつながりのなかから映画が生まれ、おそらくまた次の優れた作品へとつながっていく。リトルモアから刊行されている詩集の映画化を石井が担い、それによって本領を発揮するに至ったのは、そう考えると、無茶ぶりなんかではなく孫の術策だったとしか思えない。

門間雄介

最終更新:5/29(月) 16:19
リアルサウンド

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