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大河ドラマ「井伊の赤備え」率いた直政、戦い方もド派手だった

5/30(火) 15:46配信

日経BizGate

単身で敵陣に斬りこみ連戦連勝

 NHKの大河ドラマで注目の井伊家。今川家の支配下にあって桶狭間の戦いや暗殺によって当主が不在となり、家を継いだ“おんな城主“直虎に育てられたのが、直政である。やがて徳川軍団に加わった直政は、「赤備え」の精鋭を率いて活躍し、敵から「赤鬼」と恐れられた。赤一色で武装した直政の部隊は、『関ケ原合戦図』を見ても非常に目立つ。そして、戦い方もド派手だった。

 通常、大将とは陣の奥で指揮をとるもの。だが、直政はいざ戦がはじまると単身で敵に突進した。井伊の赤備えは大将みずからが功を狙って先陣を切るという恐るべき部隊なのだ。代わりに奥で指揮をとるのは、井伊家筆頭家老の木俣守勝だったといわれている。

 大将の印をつけて最前線で戦うので敵のターゲットになりやすいが、長い槍を振り回しながらがむしゃらに突進し、敵に混乱を生じさせたのだ。直政はこの戦法で一度も負けていない。重武装だったにもかかわらず傷が絶えなかった直政は、軽装なのに傷ひとつ負わなかった本多忠勝とは対照的な存在であった。

 その赤備えの名を世に知らしめたのは、1590(天正18)年の小田原攻めである。豊臣秀吉の指示のもと、徳川勢は小田原城を包囲する作戦をとっていたが、直政は篠曲輪(さきくるわ)に攻めこんだ。鉄砲を撃ちまくり、負傷しながらも「えいさ! えいさ!」と叫びながら攻め続けたという。当時、難攻不落とされた小田原城において、砦の内部まで攻め入ったのは直政くらいであった。

 関ケ原の戦いでは開戦の口火を切る豪快な抜け駆けで、敵味方をあぜんとさせている。当初、東軍は秀吉の子飼い武将で石田三成を嫌う福島正則が先陣と決まっていたが、家康の四男・忠吉を連れた直政が福島隊の脇をすり抜けて西軍に突撃したのだ。

 このとき、そろそろと進みゆく直政を家臣が止めようとしたものの「ここにおわすは家康公のご子息である。初陣であるから後学のため先陣を物見に行く」と言い放って前に出てしまった。これには異説もあり、血気盛んな忠吉が抜け駆けしようとするので、直政がついていったともいわれている。忠吉は直政の娘を妻としており、義理の父の戦いぶりをマネようとしたのかもしれない。

 いずれにしても、東軍の先陣を切ったのは直政の部隊であった。家康の本隊が着陣する前に開戦したわけだが、直政としては、「徳川方が動いて開戦した」という結果がほしかったようである。戦のあと、東軍についた九州の大名・鍋島勝茂は、直政を「天下無双、英雄勇士、百世の鑑とすべき武士」と大絶賛している。

 直政は、菩提寺の和尚に「いつ死んでもいいように戒名がほしい」と願い出て、生前に法名を授かっている。百戦錬磨の武田旧臣を中心とする猛者たちを統率するためでもあった。大将が先頭に立って戦えば部下は従わざるをえず、また大将を守るのに必死になる。だからこそ、赤備えは勇猛果敢な精鋭部隊として武功を積み上げることができたのだ。

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最終更新:5/30(火) 16:15
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