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キリン社長、バレーボールに学んだ!? 「一番搾り」に経営資源を集中、結果は…

5/31(水) 12:12配信

NIKKEI STYLE

■海辺の街で自由奔放な少年時代を送る

 キリンビール社長、布施孝之氏の「仕事人秘録」。第1回はバレーボール漬けだった学生時代を振り返りつつ、社長就任後に経営資源を「一番搾り」に集中した理由を語ります。
※布施社長の人物像を紹介した「窮地に陥ったライバルに… サントリー社長を『泣かせた』キリン社長の電話とは?」が記事下の【関連記事】からお読みいただけます

 少年時代は潮の香りとともにあります。千葉市の稲毛海岸で生まれ育ち、塾通いなんか無縁の生活でした。夏になれば近くの海で真っ黒になるまで泳ぎ、陸に上がれば野球三昧。そんな毎日でした。

 実家は祖父母が切り盛りしアサリと海苔(のり)とり、それに食堂もやっていました。そこに東京の化学会社の研究者だった父、それに母と私が同居していました。家にはいつもお客さんや親戚、近所の人が集まりワイワイガヤガヤ。陽気な漁師町の人たちはみんな「タカ坊」「タカ坊」とかわいがってくれました。

 中学時代はバレーボールに熱中しました。日本の男子バレーボールチームが1972年のミュンヘン五輪で金メダルをとるまでの道のりを描いたテレビのドキュメンタリー番組「ミュンヘンへの道」に触発されたのでした。

 千葉県立千葉東高校に入ってもバレーボールに明け暮れ気がつくと3年の夏、国体予選で敗れると後は受験がもう目の前に迫っていました。国立大学を目指すには時間が足りません。受験科目が3つの早稲田大学1本に絞り、勉強に集中しました。

■東京女子大学の監督を経験、勝つためのリズムづくりを学ぶ

 大学に何とか合格すると、またバレーボール。国体経験者から全くの初心者までいる同好会で副幹事長として全体を束ねる苦労を経験しました。ただ、後々ためになったのは東京女子大学で監督を務めたことでした。

 東京女子大の監督は早稲田から人を出す慣例になっていて、私が選ばれました。その時、戦略の正確さやメンバーの士気の高さがいかに勝敗を左右するかを学びました。

 バレーボールはリズムのスポーツです。試合でも失点が続くと止まらないことがよくあります。そうなるとチームは自信を喪失、弱気のプレーが続く。負の循環に陥るのです。これを断ち切るには、ラリーが続いた接戦など「ここぞ」という1ゲームに競り勝つことが重要です。

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最終更新:5/31(水) 12:12
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