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ミラン公式誌編集長が振り返る。「今も心に残る本田圭佑のあのプレー」

5/31(水) 12:16配信

webスポルティーバ

◆オフィシャル誌編集長のミラン便り2016~2017(最終回)

「もう3年半の月日が経ってしまったなんて、時の流れの速さに正直、驚いている。今日は僕のミランでの最後の試合だ。試合に勝利し、自分のいた証(あかし)を残したいと思う。ロッソネロのユニホームを着てプレーできたことを僕は幸せに思うし、誇りに感じている。すべてのサポーターに、そしてここ数年間のすべてのチームメイトに感謝したい。とにかく僕はただただ幸福を感じている。

【写真】ミラン本田圭佑の密着写真日記

 キャプテンマークをつけた感想をみなに聞かれる。モンテッラのこの決定に僕は敬意を表するが、僕にとってキャプテンであるとかないとかはあまり重要ではない。一番大事なのは、ミランにやって来たその日からずっと僕が持ち続けていたプロフェッショナリズムだ。これまで、いいときもあればそうでないときもあった。しかし来シーズン、ミランがヨーロッパの舞台に返り咲くことは、これまでの中で一番すばらしい出来事だ。ミランがこの舞台でいい結果を出せることを祈っている。もちろんテレビで観戦もするつもりだ。

 今シーズンは、はっきり言うともっとプレーできるものだと思っていた。しかし、ミランには優秀な選手が数多くいたし、僕は自分のベストの力を見せることができなかった。残念ながらこの3年半、僕は背番号10にふさわしいプレーをあまりすることができなかった。

 しかし、そのための努力を怠ったことは一度としてなかった。僕はいつもすべての試合、すべての練習に全身全霊で打ち込んできた。ミランのサポーターに対しては永遠に感謝の気持ちを持ち続けるだろう」

 これは最終節のカリアリ戦を前にして、本田圭佑が語った言葉だ。

 思えば本田が所属していたこの3年半は、ミランにとっても、尋常ではない日々だった。監督が次々と変わり、チームはまず財政問題で揺れ、その後は先の見えない株式譲渡問題に揺れた。決してプレーするのに適した環境ではなかった。そのことが本田の出来、不出来にも大きく影響を及ぼしたことは確かだ。

 本田自身が常々言ってきたように、まず自分本来のポジションでプレーできることが少なかった。そのため本田は右サイドでアタッカーのように攻めることを、そして同時に同サイドを下がって守備に手を貸すことも覚えなければならなかった。

 またチームは好不調の波が大きく、そのため真面目に練習を続ける本田のよさを最大限に引き出すこともできなかった。特に最後の2シーズンでは、監督に起用されず、ベンチに座ることも多かった。

 ただ監督の采配について、あるいはもしミランが他のシステムでプレーしていたらなどと、今さら愚痴っても仕方ないことだ。いま言えるのは、本田がミラン史上初の日本人選手だったことだ。

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