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伝説の清純派女優・芦川いづみ 共演者が語る魅力

6/1(木) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 女優・芦川いづみ(81)をもう一度見たい──2015年秋、東京・神保町シアターで上映された『恋する女優 芦川いづみ』特集がひそかに話題となった。21日間にわたり連日満席の大盛況で、平日朝からファンが押し寄せ、入場を断わることもあったという。そんな異例の事態に、昨年2度もアンコール上映されたが、リクエストの声は今も続く。

「芦川さんの特集は業界内でもあまり例がなく、1回目はお客様の要望に応える形で半信半疑で始めました。でも蓋を開けると、観客動員数は過去10年でトップクラス。1960代を中心にファンが多く、彼女をリアルタイムで見ていないはずの40、50代にも人気です。今見ても古さを感じない身近な美しさが魅力かもしれません」(神保町シアター支配人・佐藤奈穂子氏)

 芦川は、1950~1960年代の日活黄金時代に活躍した日活の看板女優だった。活動期間は15年間と短いが、その輝きは今も失われず、多くの“芦川いづみファン”を惹きつける。

 1935年生まれの芦川は、1952年に松竹歌劇団に入学すると、翌年『東京マダムと大阪夫人』(川島雄三監督)で銀幕デビューを果たす。1955年に川島監督が日活へ移籍したのをきっかけに、芦川も日活に活動の場を移し、数々の映画を彩った。『陽のあたる坂道』(1958年)、『あした晴れるか』(1960年)、『あいつと私』(1961年)など、石原裕次郎との共演も多い。

 しかし、華々しい活躍もつかの間、1968年に32歳で俳優・藤竜也(75)と結婚すると、表舞台からぱたりと姿を消した。

 そんな芦川を、『学生野郎と娘たち』(1960年)、『青年の椅子』(1962年)などで助監督を務めた岡田裕氏は「楚々たる魅力がある女優だった」と評す。

「当時の日活はアクション映画の全盛期。彼女は裕次郎の相手役というより、一歩下がった添え役を演じることが多かった。非常に地味だけど、必要欠くべからざる存在でした。昔のスターは概して派手でしたが、芦川さんは清楚で穏やか。日活には珍しい、古風で静かなお嬢さまです。昭和初期や大正といった、あの時代でいう古き良き時代の魅力がありました」

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