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憲法学者による9条と13条の倒錯的な理解:9条解釈論その6 --- 篠田 英朗

6/1(木) 15:39配信

アゴラ

1776年アメリカ13州の独立宣言には、次のような有名な文章がある。

“「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと。」”

芦部信喜『憲法』は説明しないが、憲法13条はこのアメリカ独立宣言と酷似している。13条とは、次のようなものである。

“「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」”

なお11条では、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」という表現もある。

やはり芦部『憲法』は説明しないが、憲法前文とアメリカ独立宣言も酷似している。「自明の真理」を宣言した文章の後に、独立宣言では次のような文章が続く。

“「こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有する」。”

日本国憲法前文には、次のような文章がある。

“「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」”

これが「人類普遍の原理」とされているのは、当然、アメリカ独立宣言と酷似していることを意識したからだろう。ちなみに日本国憲法における「国民」は、英語版の「people」の意訳であり、もともとはアメリカ独立宣言の主体である「people」と同じだ。同じ「people」が18世紀北米13州でも、20世紀日本でも、同じ種類の「不可侵の」権利を持っているので、「人類普遍の原理」とされるわけである。

実は、日本国憲法で「原理」と呼ばれているのは、この「厳粛な信託」だけである。憲法典の「一大原理」は、「国政は、国民の厳粛な信託による」「人民の人民による人民のための政治」、という原則である。

ところが憲法典に書かれている「一大原理」は、憲法学者の教科書と憲法学者の指導による学校教科書類によって、消されてしまうのが常である。日本の憲法の基本書から学校教科書にいたるまで、憲法には「三大原理」がある、と書かれているからである。生徒はそれを丸暗記するように求められる。

しかし私は、「三大原理」には根拠がない、と思っている。日本国憲法にあるのは、「一大原理」である。そもそも人民が、自分たちの権利をよりよく守るために政府を設立する契約を結ぶ「信託」行為=社会契約論を、立憲主義の礎の「原理(principle)」として掲げないで、いったい何を立憲主義の原理とするというのだろうか。

憲法学者は、憲法典では原理ではない三つのものが「三大原理」だと主張し、憲法典で明示されている一つの原理が「一大原理」であるとは認めない。「三大原理」があるとされる場合、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、である。「信託(trust)」は、消し去られる。

なぜ消えてしまうのか。憲法学の基本書では、前文の「厳粛な信託」の「原理」を、「国民主権の規定である」、といった飛躍した表現でまとめてしまっている場合がほとんどだ。「信託」が消されてしまうのは、憲法学者が、それを「国民主権」の規定、などと安易に勝手に言い換えるからなのである。そしてこの主権者・国民は、絶対平和主義をどこまでも求め続けると決められている。

平和は目的だ。原理ではない。憲法は「信託」という「原理」にもとづいて設定されている。その原理の上で、憲法は平和という目的を求めているはずだ。しかし日本の憲法学者によれば、この順番は逆である。何が何でも絶対平和主義が憲法解釈の一大原則で、あらゆる条項をなるべく絶対平和主義に近くなるように読み解かなければならない、とまず主張する。厄介な「信託」などは、消し去る。代わりに絶対平和主義を意思するとされる主権者・国民の至高性を強調する。そして、平和、平和、と連呼することになっている主権者・国民が、憲法学者の指導にしたがって、政府を制限するとき、立憲主義が生まれる、という想像力豊かなアイディアを振り回す。

憲法9条解釈を例にとってみよう。木村草太・首都大学東京教授は、憲法13条が9条の例外としての自衛権を根拠づけるのだと主張する。13条を根拠とする自衛権は、個別的自衛権だけを認め、集団的自衛権は認めない、と主張する。ここで独特なのは、まず9条が13条に先立って自衛権を放棄し、その後、13条が個別的自衛権だけを例外化する、という論理展開である。

“論点:憲法と安全保障を問う 対談 井上達夫・東京大大学院教授、木村草太・首都大学東京教授 - 毎日新聞(https://mainichi.jp/articles/20160503/ddm/004/070/010000c)”

しかし、憲法を前文からきちんと読めば、事情が逆であることがわかる。13条の権利を持つ人民が、原理としての「信託」行為で、政府を樹立する。そして、平和を達成してよりよく13条を実現するために、国権の発動としての戦争の禁止を宣言する。これが憲法の論理構造であり、「信託」によって成り立つ立憲主義の論理構成だ。

9条で戦争放棄を宣言している時点ですでに、国民は13条の幸福追求権を持っているはずだ。13条は後付けで9条に例外を加えるための規定ではない。むしろ13条の権利をより一層強く守るために、平和を求める政策が求められ、その手段として9条の規定が定められている、と解釈すべきである。どんな犠牲を払ってでも絶対平和主義を貫こう、などという態度は、本来は、反立憲主義的であり、反9条的である。

9条で戦争がない国際社会を目指すのは、国民の権利をよりよく守る原理にしたがってのことである。9条で国際法上の概念である自衛権が放棄されないのは、13条を危うくする形で独善的に平和が求められているはずはないからである。国際社会は平和であるほうが、13条の権利の保障に役立つので、9条で規定されたやり方が導入される。国際法における自衛権は認めるほうが、13条の権利の保障に役立つので、9条のやり方が導入される。そのように、9条を解釈すべきである。

たとえ他国の防衛にあたる行為であっても、13条に役立つのであれば、合憲的である。たとえ国際社会全体の平和を守るための行為であっても、13条に役立つのであれば、合憲的である。13条は、日本国民への攻撃があった場合だけに適用される、といった解釈は、国民=国家の有機的存在を実体的に捉えすぎたドイツ国法学的な考え方であり、憲法典上の根拠がない。

たとえば朝鮮半島有事の場合には、日本が攻撃される前の段階であっても、日本政府が憲法13条の観点から国民の安全に役立つと思われる措置をとることを、止めるべきではない。韓国や米国と協力して、日本国民の安全確保にも役立つ行動をとる日本政府に、「日本が攻撃されていないのに邦人保護するのはおかしい」とか、「米国や韓国と協力せず、どこまでも個別的に行動しなければならない」とか、「朝鮮半島の安全は日本人の安全と全く関係がない」、などと非難を浴びせるとしたら、それは全く独善的な態度であり、反13条の態度だ。

木村教授は、本来は国際法の概念である自衛権を、13条で基礎づけようとする。この試み自体が、実はかなり異様である。たとえば、国際法上の民族「自決権」や海洋での「無害通航権」などの権利のいかなるものも、憲法典で根拠づけようなどとはしない。しかしただ自衛権だけは、憲法が根拠を示さなければならず、国際法はそれに従わなければならない、というのである。なぜ自衛権だけは根拠が憲法になければならないのか。実定法上の理由はない。憲法学者の思い込み以外には、全く何も他に理由がない。

全ては、はじめの一歩で9条の絶対平和主義を措定し、あとは例外があるかどうかをチェックするのが、正しい憲法解釈の筋道だと思い込んでいることが原因である。

繰り返そう。憲法の「一大原理」は、「信託」である。国民の権利を守る措置をとる社会契約上の権限を、政府に委託しているのが、立憲主義の原理である。政府は、国際平和を希求する際も、自衛権を行使する際も、この立憲主義の原理にそって、行動する。「信託」にそっているかどうかが、政府の行動の合憲性の審査基準である。

これに対して憲法学者は、まず抽象的な絶対平和主義を包括的に設定し、それにしたがって政府の行動を制限したうえで、ただ政府に許可してもいい例外として自衛権を設定するかどうかを憲法学者に検討させるべきだ、と主張する。私は、そのような思考方法は、全く立憲主義的なものとは言えない、と考えている。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちら(http://shinodahideaki.blog.jp/)をご覧ください。

篠田 英朗

最終更新:6/1(木) 15:39
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