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ナポレオンとロスチャイルド

6/1(木) 12:09配信

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 19世紀の初め、2人の異能の同時代人が歴史に大きな影響を与えた。彼らの運命は微妙に絡み合っていた。

 1人はナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)。これは、誰でも知っている。もう1人は、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド(1777~1836年)だ。

 ネイサンは、フランクフルトのユダヤ人ゲットーで、マイヤー・アムシェル・ロートシルトの3男として生まれた。ゲットーとは、ユダヤ人の居住地区であり、都市のその他の地域から隔離されていた。

 マイヤーは、古銭商人としてスタートし、その後、ヘッセン選帝侯のお抱え銀行家となった。彼の5人の息子たちは、ヨーロッパの5つの都市で事業を行い、それぞれの地でのロスチャイルド家の祖となった。ネイサンはその中心であり、他の兄弟から最高司令官と呼ばれていた。

 ナポレオンがブリュメールのクーデターで第1執政になったのは1799年11月だから、彼が30歳の時だ。

 その前年、21歳のネイサンは、イギリス・マンチェスターへ移住した。フランス革命以来、ドイツでは綿製品が不足して価格が高騰していた。そこで、産業革命によって綿製品生産の中心地となっていたマンチェスターで安く仕入れ、ドイツで売ろうというわけだ。

 彼は、莫大な利益を上げ、その利益を使って、1804年にロンドンに移り、金融業を始めた。

 ナポレオンは、同じ年に皇帝になる。そして、06年に大陸封鎖令を発した。これによってイギリスに経済的打撃を与え、弱体化させることが目的だった。

 しかし、産業革命が進んだイギリスは、工業製品の重要な供給国となっていた。大陸諸国は封鎖令で工業製品をイギリスから輸入できなくなったため、綿製品などの工業製品の価格が高騰した。逆に、イギリスでは、それらの商品が市場を失ったため、価格が暴落した。

 そこでネイサンは、工業製品をイギリスで安く仕入れて大陸に密輸し、ロスチャイルド兄弟のネットワークを使って、大陸諸国で売ったのである。

 これらの取引は、市場間の価格差を埋める取引だ。価格差が生じれば、必ずこのような取引が発生する。これは裁定取引とか鞘取りと言われるもので、必ず利益を上げられる。実際、これによってネイサンは再び莫大な利益を上げた。

 裁定取引を非生産的な経済活動だと批判する人もいるが、市場の不完全性を克服するために重要なものだ。事実、ネイサンの取引は、物資不足にあえいでいた大陸の人々から感謝された。

 つまり、ネイサンの富は、ナポレオンの政策によって築かれたわけだ。ただし、ナポレオンの影響が一方的にネイサンに及んだわけではない。大陸封鎖の効果を弱めたわけだから、ネイサンはナポレオンの邪魔をしたことになる。

 10年頃には、ナポレオンはイギリスとスウェーデンを除くヨーロッパ全土を制圧し、イタリア・ドイツ西南部諸国とポーランドを属国に、オーストリアとプロイセンを従属的同盟国とした。

 11年、ネイサンの銀行、N M Rothschild & Sonsが発足した。

 12年、ナポレオンは60万の大軍でロシアに侵攻するが、敗北して退位させられ、エルバ島に追放される。

 15年、ナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに戻って復位。連合国に講和を提案するが拒否され、戦争に突入。しかし、ワーテルローの戦いで完敗し、「百日天下」は幕を閉じた。

 ネイサンの巨万の富が築かれたのは、百日天下の間なのである。

(『週刊新潮』2017年6月1日号より転載)

 

野口悠紀雄