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広島・衣笠祥雄、37年前の遠い記憶

6/2(金) 11:10配信

週刊ベースボールONLINE

 人の記憶というのは変質する。塗り替えられると言うべきか。

 つまり、同じ過去の出来事を回想するにしても、回想する時点によって感情や思考には誤差が出てくるということだ。

 今回、『ベースボールマガジン』7月号の取材で衣笠祥雄さんにインタビューした際に、聞きたかったことがあった。

 衣笠さんと言えば、1887年にルー・ゲーリッグを抜く2131試合連続出場の世界記録(当時)を達成。国民栄誉賞にまで輝いた。

 大記録へ至る過程の80年8月4日巨人戦では、当時の日本記録となる1247試合連続試合出場を達成。その直後に発行された『ベースボールマガジン』9月号には、衣笠さんの当時の偽らざる本音が独占手記という形で掲載されていた。

 そこでポイントとなったのが前年5月まで目標にしていた連続フルイニング出場記録だった。フルイニング出場というと、衣笠さんから「鉄人」の称号を受け継ぎ、世界記録を樹立した阪神・金本知憲監督のイメージが強いが、79年には衣笠が当時の三宅秀史(元阪神)の700試合に挑んでいた。

 このシーズンの衣笠さんは開幕から原因不明の大スランプに陥っていた。当時の指揮官だった古葉竹識監督に呼ばれてスタメン落ちを告げられたのは5月28日のことだった。スタメン落ちはすなわち、6年もかかって積み上げてきた連続フルイニング出場が途切れることを意味する“死刑”宣告。三宅の記録に並ぶまで、あと22試合に迫っていた。

「プロである以上、個人の甘えなど許されない」とは分かっていても、自分自身に対する情けなさに涙が出てきた。ついには「野球をやめよう」と心に叫んでいたという。

 帰宅後、衣笠さんは「オイ野球をやめるぞ」という言葉が夫人に対して出かかっていたが、2人の子どもの寝顔を見て、何を感じたか。感情の揺れが手記にはこう記されていた。

「女房はいい。好きで一緒になったんだ。たとえどうなってもついてきてくれるだろう。子どもたちはどうか。いつかは成人して親父が何をしてきたか知るだろう。『試合に出してもらえなかったから野球をやめた』。いまプロとしての野球を体がどこも悪くないのに、やめようとしている。そんなことができるだろうか。2人の子どもに対して立派な父親でありたい。そう思ったとき、それまで頭の中を駆け巡っていた“バカな夢”は吹っ飛んでしまっていた」

 フルイニングこそ途切れたものの、衣笠さんはその後も試合に出場し続け、80年の日本記録を経て、87年には前人未到の金字塔を打ち立てた。

 それだけに、連続フルイニング記録が途切れたという出来事は後の野球人生にどんな影響を及ぼしたのか、それが聞きたかった。

 2017年時点の衣笠さんには、80年当時の誌面に記されたような生々しい記憶はすでになかった。「皆さん、そう言う」と2度繰り返した後、「チームの勝利の前には個人は負けます。嫌なら辞めればいい。古葉さんには本当に申し訳ないことをした。だって、記録を途切れさせた監督は誰だとなった場合、古葉さんの名前が永久に出てくるじゃないですか」と話した。

 37年前の衣笠さんが、これと同じことが言えただろうか。長い年月がたってみて、不調の自分を使い続けてくれた古葉監督の思いやりが心に染む。37年前の遠い記憶。これが時間という名の魔術師なのか。

文=佐藤正行(ベースボールマガジン編集長) 写真=BBM

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