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【YOUはどうしてJリーグに?:特別編】元鳥栖MFキム・ミヌが過ごしたJリーグでの7年間。W杯への思い、別れの手紙の真相

6/2(金) 7:20配信

フットボールチャンネル

 Jリーグにおける外国籍選手といえば、ブラジル人や韓国人のイメージが強い。しかし、近年その傾向は弱まり、ヨーロッパからも多くの選手が日本でのプレーを選ぶようになった。彼らはどんな思いを胸にJリーグのピッチに立っているのだろうか。普段はブラジル人と韓国人以外の外国人Jリーガーを取り上げる本連載だが、今回は特別編として、韓国出身ながらサガン鳥栖で7年間プレーしたキム・ミヌの独占インタビューをお届けする(不定期連載です)。(取材・文:舩木渉【水原】、取材日:2017年5月23日)

2017年J1在籍選手、通算得点トップ10。1位と2位は同一クラブのFWがランクイン

●きつかった1年目…それでも「鳥栖に移籍してよかった」

ーー今日は時間を作っていただきありがとうございます。もうすぐ日本を離れて半年になりますね。鳥栖が恋しくなることはありませんか?

 懐かしいですね。サガン鳥栖は僕の頭の中に常に入っているし、たまにサガン鳥栖のときの選手やみんなとも連絡をとっています。最初は寂しさを感じたんですけど、水原に来て忙しかったので、それはだんだんなくなってきました。

ーー初めてJリーグでプレーしたのはもう7年前です。サガン鳥栖移籍が決まったのは、無断でオランダにテストを受けに行って大学を退学になったことがきっかけでしたよね。当時のことは思い出せますか?

 ちょうどU-20W杯が終わってすぐでした。いま韓国でU-20W杯をやっているので、その時の思いも最近また思い出して、いろいろ考えています。サガン鳥栖へ初めて行った時は僕自身本当に若かったですね。その前にPSVのテストを無断で受けに行ったことも、よく考えたら僕の考え方が若かった。僕はその時、日本でプレーするとは思っていませんでした。チャンスがたまたまうまくきたので、いま考えたらサガン鳥栖に移籍してよかったと思います。

ーーその当時、日本のサッカーにどんな印象をお持ちでしたか?

 今みたいにインターネットもそこまで発展していなかったので、正直あまりJリーグを見る機会がありませんでした。ほとんど何も知らないまま日本に行きましたね。

ーー最初の頃は病気になったこともあったそうですね。やはり慣れない土地での生活は大変でしたか?

 1年目は本当にきつかったです。練習もきつかったし、僕がサッカーをやっていて、今までで一番きつかったかもしれません。甲状腺機能亢進症がわかった時はとにかく休まなければいけませんでした。いま考えたら、若い時にそういう辛い経験したのはよかったと思います。

●鳥栖残留を決めた理由。チームメイトたちへの感謝

ーー途中で韓国に帰ろうと思ったことはなかったですか?

 韓国に帰ろうと思ったことはないですね。日本にいたら慣れたし、日本のサッカーの魅力もわかったし、環境も良かったので、韓国に帰ることは考えていませんでした。日本が好きになりました。でも、1年目は韓国に帰るどころではなく、ピッチ1周分も走れなかったので、本当にサッカーをやめないければいけないかなと思うくらいきつかったです。

ーーその時、同じ韓国人のユン・ジョンファン監督の存在は大きかったのではないでしょうか。

 それは間違いないと思います。本当にいつもユンさんに感謝していますし、ユンさんがいなかったらJリーグであれほどプレーできなかったと思います。本当に感謝しています。

ーー初めてJリーグに行った時、まさか7年も同じクラブでプレーすることは考えられなかったのではないですか?

 本当に想像できなかったですね。J1に昇格して1年か2年経ったころに一度だけ、他のチームでやりたい気持ちも正直ありました。7年間ずっとサガン鳥栖にいるとは思わなかったです。

ーーその時サガン鳥栖に残ろうと思った決め手はなんだったのでしょうか?

 違うチームに行ったら(ポジションを獲得するため)一からチャレンジしなければいけない。もちろん僕の中では常にチャレンジしなければいけないという考えがあるんですけど、移籍しなくてもいろいろなチャンレジができるし、目標を作れると思いました。そしてサガン鳥栖が僕をリスペクトしてくれて、選手たちも尊重してくれたので、そういうところが一番大きかったかなと思います。

ーー7年間、サガン鳥栖で過ごした日々はミヌ選手にとって宝物ですね。

 サガン鳥栖の選手たちはみんなやさしかったので、みんなに感謝しています。その中でも1年目や2年目は圭さん(池田圭)とナオさん(藤田直之)、2人に日本語を教えてもらったので、本当に感謝しています。僕は寮に住んでいたので、他の選手の部屋に本を持って行って日本語を教えてもらったりしていました。仲良くなるし、それしかなかったんです。圭さんは僕以外の外国人選手たちにも本当によくしてくれたので感謝しています。僕は圭さんみたいにできるかな…たぶんできないと思うので、本当に尊敬しています。

●将来の鳥栖復帰は? 今年2月にさっそく古巣と対戦

ーーサガン鳥栖は今季、昨年までミヌ選手がつけていた10番を空けています。帰ってくる日を待っているのではないかと感じますが…。

 それは嬉しいですけど、いろいろ考えちゃいますね。嬉しいし、感謝もしていますし、でも難しいところです。今は水原三星にいるのに、周りではサガン鳥栖に帰るんじゃないかという話が出ているので、それは自分の中では早いんじゃないかなと思っています。僕は水原三星でのプレーに集中したい。サガン鳥栖に戻れる時間はまだですね。

ーーとはいえ、今年2月にはさっそく古巣のサガン鳥栖と親善試合で対戦しました。水原三星のユニフォームを着て鳥栖の街に戻るのは変な感じがしたのではないでしょうか。

 不思議な気持ちでしたね。慣れている街ですが、街の中のホテルの部屋で寝るのにはは慣れていなくて(笑)。サガン鳥栖のアウェイのロッカールームも初めて使ったので、本当に変な感じでした。まだ慣れていないチームで、僕が7年もいたサガン鳥栖と試合をするのは難しかったです。

ーー対戦相手になってしまいましたが、7年間共に戦ったサポーターの皆さんからの歓迎はどう感じましたか?

 水原三星との親善試合の時も僕の応援をしてくれていましたが、本当に感謝の気持ちしかないですね。(サガン鳥栖で)最後にスピーチした時もそうだし、その前から街で会っても「頑張ってください」と応援してくれていたので、そういうところから僕は愛されている選手だなと思いました。1人でも多くの人に応援されているのは本当に嬉しいし、1人でも多くの人に僕の名前を覚えてもらえるのは嬉しいことです。

●「最後のスピーチ」の裏側。7年間で実感した成長

ーー実は今日、一番聞きたかったのが「最後のスピーチ」のことなんです。あのスピーチはサガン鳥栖サポーターでなくとも涙を流すくらい感動的な文章でした。もちろん僕も泣きました。あれはミヌ選手が全て考えたものなんですか?

 スピーチの内容は僕が全部考えました。ただアイディアは周りの人からもらって、手紙にしたんです。退団が決まって、金正訓さん(キム・チョンフン=現鳥栖コーチ兼通訳)に「本当に素晴らしいスピーチをしなければいけない」と言われて、「そうなんだ」と思いながら何にしようかと考えていたんです。

 その後、たまたまチョンフンさんの家でご飯を食べていたら、チョンフンさんの奥さんが「手紙を書いたら?」とアイディアを出してくれて。僕はそれを聞いて「いいアイディアだな」と思いました。僕は漢字もあって日本語を書くのはなかなか難しいので、手紙の内容を全部考えて、まず韓国語で書いて、それをチョンフンさんに渡して、日本語に訳してもらって、それを僕がまたひらがなで全部書き直して、ホームで最後の試合の後に読みました。アイディアが出てからスピーチまで1週間くらいだったと思います。

ーー手紙の内容を考えている時、7年間で経験した苦しかったこと、嬉しかったこと…いろいろなことを思い出したんじゃないですか?

 頭の中で1年目のときから去年までの思い出がずっと動画を見るみたいな感じで流れてきました。ただ手が痛くて(笑)。僕たちは文字を書くことがほとんどないじゃないですか。あれだけ長い文章を書いたのは久しぶりで、腕が痛かったです(笑)

ーー改めて日本での7年間を振り返って、どんなところが成長したと感じていますか?

 若い時には病気もあって、気持ちが強くなったと思います。サッカーをする時にチームメイトを使うのが上手くなったという話は周りから聞いたことがあります。よく考えたらそうかなと思いますね。若手の頃は1人で仕掛けるのが好きだったし、そういう選手でしたけど、いまは周りの人と上手く連携しながら、一緒にサッカーできるようになりました。

ーー周りの選手を生かせるようになったことが最後の1年のキャプテン就任につながっているんでしょうか。

 最後はそうなりますかね。キャプテンを任されることになったのは本当に嬉しかったですが、背中には責任を感じました。キャプテンじゃない時は、もちろん周りの選手も見るんですけど、そこまで見なかった。いままでそういった責任を感じたことがなかったんですが、責任感を持てた1年だったんじゃないかと思います。立ち位置が人を変えるんですね。

●キム・ミヌから愛するサガン鳥栖へのメッセージ

ーーサガン鳥栖で主力に成長し、韓国代表デビューも果たしました。来年はロシアW杯もあります。もちろん兵役のことも考えなければなりませんが、それでもW杯出場のチャンスはあります。世界一を決める舞台への思いを聞かせてください。

 昔も兵役をこなしながらW杯に出た選手がいますし、もちろん僕にもチャンスはあります。W杯は誰でも出たい舞台です。だから僕ももちろんW杯へ行きたいし、そのピッチに立ちたいと思っています。いまは怪我をしていて練習できていない(筆者注:取材した5月22日時点で、キム・ミヌは左足のつけ根を痛めてリハビリ中だった)ので、今回の代表メンバーには入っていませんが、早く治して復帰してチームの力になりたいですね。

ーーまずはクラブチームで復帰してからですね。初めてのKリーグでのシーズン、水原三星での目標を教えてください。

 このチームは昔からうまい選手が揃っていて、優勝もたくさんしていて、韓国ではビッグクラブです。そして僕が小学生の頃から応援していたチームなので、今ここにいられることは嬉しいです。水原三星に自分が入ることは考えたこともなかったですから。今はこのチームでもっと頑張らなければいけないし、もっと集中しなければいけないと思うので、水原三星でリーグ優勝できたらいいなと思いながら生活しています。僕は何年も前から優勝がしたいと思っていたので、目標は優勝です。

ーーでは、最後になりますが日本でミヌ選手のことを応援しているファンの皆さんにメッセージをお願いします。

 僕はいま怪我してしまっていますが、韓国のチームで頑張っています。日本からたくさんの方に応援していただいているのも知っていますし、本当に感謝しています。人の未来はどうなるかわからないので、まだ僕もハッキリは言えないですが、いまもサガン鳥栖は韓国から応援していますし、試合も観れる時は見て、見れなかった時は毎週結果は必ずチェックしています。僕もこれからいいお知らせを届けられるようにもっと頑張りますので、ずっと応援してください。頑張ります!

(取材・文:舩木渉【水原】)

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