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波乱万丈のサッカー人生。元日本代表DF青山直晃がタイで挑む「弱肉強食」の戦い

6/3(土) 10:20配信

フットボールチャンネル

 川崎フロンターレが2戦合計7‐2のスコアで圧勝した、AFCチャンピオンズリーグ(AFC)のトーナメント1回戦。対戦相手のムアントン・ユナイテッドFC(タイ)には、かつてイビチャ・オシム監督に率いられた日本代表に“飛び級”で抜擢されたホープがプレーしている。タイの地へ渡って3年目。充実感と悔しさを同居させていた複雑な胸中を、DF青山直晃に直撃した。(取材・文:藤江直人)

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●どうしても先発で出たかったゲーム。しかしベンチスタートに

 武者震いで眠れなくなるのではないか。タイを飛び立って日本へ向かうまでは、こんな状態になってもいいと思っていた。しかし、青山直晃を待っていたのは、まったく逆の夜だった。

「昨日は眠れなかったですね。今日だけは先発で出たかった。外されるとわかったときは、正直な話、本当に悔しかった」

 川崎フロンターレとのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝トーナメント1回戦。ホームで5月23日に行われたファーストレグを1‐3で落としたムアントン・ユナイテッドFC(タイ)は、絶体絶命の状況に追い込まれていた。

 大逆転でのベスト8進出へ求められるのは、敵地・等々力陸上競技場で3点差をつけての勝利。それでもサッカーで不可能なことはない。タイへ渡って3年目。不動のセンターバックを担ってきた青山は、具体的な試合展開を思い描きながら29日に来日した。

「絶対に3点をもぎ取って勝ってやる、という気持ちでこっちに来た。最初に(自分が得意とする)セットプレーからゴールすれば、まだわからないと思っていたので」

 迎えた決戦前夜のミーティング。ムアントンのタワン・スリパン監督は、最終ラインの要を先発から外す英断をくだす。国内リーグ戦を含めて、チームは泥沼の5連敗を喫していた。何かを変えなければ、という思いに指揮官は駆られていたのもかもしれない。

 試合は1‐4で完敗。2試合合計で2‐7のスコアで、タイ王者は姿を消した。青山が投入されたのは後半27分から。すでに大勢は決していた。試合後の公式会見。青山を先発から外した理由を聞かれた指揮官は、体調不良を理由にあげている。

「いまそう言ったんですか? 正直、わからない。とにかく、もう終わっちゃったので、僕としては何も言えないですね」

●“飛び級”でA代表に選出されるも…

 青山自身は、ベストのコンディションという自負があったのだろう。記者会見でのスリパン監督の言葉を伝え聞くと一瞬、驚いた表情を浮かべ、そして苦笑いを繰り返した。

「リーグ戦を含めて、ずっと負けていたので。何かを変えなきゃ、と思っていたはずなんですけど、それが僕だったと。要するにディフェンダーで、しかも外国人枠のなかの選手なので、失点を喫した責任はあると思うので。外されても文句は言えないですけど、それでも今日だけは出たかった。

 振り返ってみれば、ホームで逆転負けしたことは本当に痛かった。1‐1で、最悪でも1‐2で終えられたはずなのに、総崩れしてしまった。僕自身も同点にされたゴールに絡んでいたし、いまは何とも言えないですけど、もうちょっと(セカンドレグを)面白くできたかなと思っています」

 群馬県の名門・前橋育英高校から、2005シーズンに清水エスパルスに加入した。同期には滝川第二高校から加入したFW岡崎慎司(現レスター・シティー)がいる。先に頭角を現したのは青山だった。

 J1デビューを果たした、2005年10月29日の名古屋グランパス戦で初ゴールをゲット。何よりも空中戦を含めた対人の強さで、2年目の2006シーズンからはレギュラーとして定着する。

 反町康治監督(現松本山雅FC監督)に率いられ、2008年の北京五輪に臨んだ世代でも長く中心的な役割を担っていた。出場機会こそ訪れなかったが、イビチャ・オシム監督に率いられた新生日本代表の初陣となった2006年8月のトリニダード・トバゴ代表戦で、追加招集されたこともある。

 いわゆる“飛び級”でのA代表入り。順風満帆に映ったサッカー人生は北京五輪本大会の代表メンバーに選ばれなかったことで風向きが変わり、翌2009シーズンに負った右ひざ前十字じん帯損傷で大きく狂わされてしまう。

●「『外国籍選手』という厳しい立場で勝負したい」

 故障から復帰した2010シーズンは、リーグ戦の出場機会がゼロに終わった。ベンチ入りさえもままならなかった状況で、契約延長を打診されながらもオフに環境を変える決断を下す。完全移籍した横浜F・マリノスではしかし、中澤佑二と栗原勇蔵が築きあげる壁の前にはね返され続けた。

 心機一転、2013シーズンからはヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。最終ラインの一角で対人の強さを取り戻すなど、チームのJ1残留に大きく貢献した。翌2014シーズンもコンスタントに出場機会を得た。充実感を覚えていたなかで、10年で節目を迎えたプロ人生を振り返ってみた。

「何か新たなチャレンジをしたいと思って。それで選んだのがタイでした。タイではお金を積んで、スピード、パワー、テクニックがそろった外国人のフォワードが大勢プレーしていると聞いた。彼らとバチバチやりたいと思うようになったんです」

 選んだのは強豪の一角に名前を連ねるムアントン。ヴァンフォーレを介して発表された青山のコメントには、当時の偽らざる思いが綴られていた。

「今シーズンも甲府でプレーしたいという気持ちも大きかったのですが、自分のサッカー人生を考えたときに、海外リーグで『外国籍選手』という結果を求められる厳しい立場で自分自身を追い込んで勝負したいという気持ちが上回り、タイで勝負する決断をしました」

 足元の技術やフィード能力がセンターバックにも求められる時代のなかで、古き良きディフェンダーだと自負している。対人の強さなら誰にも負けない。果たして、裸一貫で飛び込んだタイの地は、青山のなかで燻りかけていた闘争本能を雄々しく蘇らせてくれた。

「自分らしいというか、自分が好きなサッカーをやれている。体をぶつけ合うのが楽しくてこの世界に入った自分としては、外国人選手とバチバチやれているのは本当に面白い。日本は組織で守るサッカーなんですけど、タイは完全に個のサッカー。だからこそ、僕としてはやりがいがある。

 特にブリーダム・ユナイテッドの外国人ツートップが半端ない。それでも組織で守ったりはしない。とにかく個で守れ、と。その分、やられたらすべて個人の責任となる。今回みたいなかたちで、責任を取らされる。そういう刺激は、常にありますね」

●武闘派センターバックの飽くなきチャレンジは続く

 貫いてきた不器用さが、タイでは最大のストロングポイントとなった。2年目の2016シーズンはリーグ優勝を果たし、今シーズンのACL出場権も手にした。時間の経過とともに鮮明になってきたもうひとつの夢が、はっきりとした輪郭を帯びた。

「このチームで、日本のチームにACLの舞台で勝ちたいと。グループリーグではホームで鹿島アントラーズに勝ちましたし、それはすごく嬉しかったけど、最後はフル出場してそれでもかなわないとなれば、それでいい。こういう形で終わったことで、何だかやり切れない感じはありますね」

 いま現在のチームでは、最も長くプレーする外国人選手となった。決して低くない金額と引き替えに加入した以上は、目に見える結果をすぐに求められる。在籍わずかで去っていった外国人選手を、何人も見てきた。弱肉強食の世界の宿命にいま、自分自身もさらされつつあると感じているのか。

「新しい外国人選手がまた来るかもしれないし、そこで自分もどうなるかわからない。それだけ外国人選手に求められるものはすごく大きい。ボス(オーナー)の声なのか、監督の判断なのかはわからないけど、こういうふうにパッと出られなくなるので本当に危ないですよ。

 ただ、日本にいたときはもらった年俸のなかから税金を半分くらい払うんですけど、こっちは税金をチームが払ってくれて、僕は(年俸を)そのまま手取りでもらっているので。家も自動車も用意してくれているし、食事も美味しい。道路の渋滞は大変だけど、あとは本当にいいんですけどね」

 休む間もなく、連覇を目指すリーグ戦が再開される。ブルガリアでプレーしていた、これまでは無名だったMF加藤恒平がハリルジャパンに大抜擢されて注目を集めた。タイで戦い続ける青山は「年齢的にも、僕はないですよ」と苦笑いしながら、必死に気持ちを切り替える。

「頑張っていれば、何かあるかもしれないとは思いますけどね。だからこそ、また新しく何か目標を見つけなきゃ、という感じです」

 タイの国内リーグは、青山によれば年を追うごとに活況を呈しているという。夏場になればヨーロッパの移籍市場が開き、チャンスとビッグマネーを求めて大勢の外国人選手も新たにやってくる。7月には31歳を迎える、武闘派センターバックの飽くなきチャレンジは続く。

(取材・文:藤江直人)

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