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英紙が検証! レアル・マドリー伝統の純白ユニホームは、いかにして誕生したのか

6/3(土) 12:05配信

SOCCER DIGEST Web

ロンドンのクリケット場で導入を決めた?

 史上初のチャンピオンズ・リーグ連覇に挑むレアル・マドリー。選手たちが身に覆う純白キットは“白い巨人”の代名詞であり、100年以上の長きに渡り、世界中のファンに愛されてきた。
 
 では、なぜマドリーは白いユニホームを着用するようになったのか。19世紀末にイングランドで人気を博していたアマチュアの強豪、コリンシアンズFCのそれにインスパイアされたという説が有力だ。
 
 1902年のクラブ創設を前に、視察でロンドンを訪れたマドリーの創始者たちが、スポーツマンシップやフェアプレーをモットーとするコリンシアンズの姿勢と、洗練されたプレースタイルに感銘を受け、白いユニホームの採用を決断したという。しかもその試合会場は、ロンドンにあるクリケットの聖地「ジ・オーバル」だったというおまけ付きだ。
 
 この定説が出来すぎだと、異を唱えたのが英国の高級紙『ガーディアン』である。6月2日に検証記事を掲載した。
 
 もともと英国人選手が発足時に多数関わっていただけに、コリンシアンズの存在が初期のマドリーに影響を与えた可能性は否定できない。とりわけ当時のチームの中軸で、のちの初代監督にも就任したイングランド人選手、アーサー・ジョンソンの考えが色濃く反映されたようだ。
 
 とはいえ、マドリーに来る前のジョンソンの足跡はほとんど残されておらず、イングランド国内のクラブでプレーした記録もない。いまだ謎多き人物なのである。彼は創始者のひとりで、コリンシアンズのポリシーなり白いシャツをマドリーに持ち込んだのは確かながら、ジ・オーバルで試合を観戦していたというのは脚色が強すぎる、と同紙は結論付けた。
 
 マドリーの創設者がジ・オーバルを訪れたのは、クラブ誕生の直前とされている。つまりは1902年の少し前だ。ところが調査の結果、コリンシアンズがクリケット場であるジ・オーバルで最後に試合を戦ったのは、1895年の5月だと判明した。その時期、ジョンソンは16歳だった計算になる。

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最終更新:6/3(土) 12:39
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