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平賀源内は江戸版「ニコ超」プロデューサーだった

6/6(火) 16:19配信

オトナンサー

「土用の丑の日」を作っただけではない

 皆さん、江戸時代中期の1700年代に生きた平賀源内をご存じでしょうか。多くの人にとっては、エレキテルや「土用の丑の日」を作った人として有名かもしれませんが、そのほかにも、日本初のすごいことをたくさんやっていました。現在でいえば「イベントプロデューサー」です。アカデミックな教養を備え、異常ともいえる好奇心で異文化を受け入れる、独自の発想を持っている人だったのです。

 高松藩の足軽身分の家に生まれた源内は、中国古来の植物を取り扱う薬物学「本草学」を学ぼうと藩に仕えるようになりますが、クリエイティブな仕事がしたいと脱藩、今でいう「フリーランス」の身となり、長崎でオランダ文化に触れ、文化交流を盛んに行いました。そんな源内ですが、医学書「解体新書」を刊行した杉田玄白に、画家・小田野直武を紹介した人でもあります。小田野直武は後に「解体新書」図版の原画を手掛けました。

 本草学者で医者でもあった源内は、戯曲作家としても人形浄瑠璃の作品を多く残しています。さらには、日本で最初に油絵を描き、体温計や万歩計の発明、銅山や石綿(アスベスト)を使った不燃性の布の開発までしています。

ラッパーの元祖だったかも?

 冬にうなぎを食べていた江戸時代、うなぎ屋から「夏にどうやったら売れるようになるか」と相談された源内は「土用(立夏・立秋・立冬・立春直前の18日間)の丑の日には、梅干しやうどんなど『う』のつくものを食べるとスタミナがつく」という俗説をうまく利用し、店先に「本日 丑の日」と張り紙をすることをアドバイスしたとされています。これが大ヒットして、うなぎ屋や牛丼チェーン店では、現在でも「丑の日」にうなぎを販売しています。丑の日は単なるキャッチコピーを超えて食文化として大衆化しています。

 これは今でいうと「日本記念日協会」に商品の記念日を登録してメディアプロモーションを行うようなものです。源内はコピーライターでもありました。そのほかにも、歯磨き粉のCMソングを作詞作曲をしたり、京都の清水餅の広告口上(フレーズ)では、ラップ調で「もち」の韻をふんだ広告も作っています。以下は、江戸時代後期の文人・大田南畝(なんぽ)が源内の広告口上をまとめた「飛花落葉(ひからくよう)」の一節です。

 世上の下戸様方へ申上候
 そも我が朝の風俗にて
 目出たき琴にもちいの鏡子もち
 金もち屋敷もち
 道具に長もち
 魚に石もち
 廊に座もちたいこもち
 家持(やかもち)は歌に名高く
 惟茂(これもち)武勇かくれなし

 かかるめでたき餅ゆえに
 このたび思いつきたての器物さっぱり清水餅
 味はもちろんよいよいと
 ご贔屓ご評判のおとりもちにて私身代もち直し
 よろしき気もち心もち
 かかあもやきもちうち忘れ
 尻もちついてうれしがるよう
 重箱のすみからすみまで木に餅のなるご評判願い奉り候

 源内は、日本最初のラッパーだったのかもしれません。

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最終更新:6/6(火) 16:19
オトナンサー

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