ここから本文です

加計学園問題は「野党の怠慢」と「政権の軽率」こそが問題だ

6/6(火) 6:00配信

ダイヤモンド・オンライン

 安倍首相の友人が理事長を務める、学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、「首相の意向」などと記された文書が出回っている問題で、前川喜平前文科事務次官が会見を開き、文科省で作成された文書に間違いないと述べたことで波紋が広がっている。

 野党は連日、国会でこの問題を追及し、メディアは新しい「事実」を次々に明るみに出し、様々な論点が入り乱れて混乱した状況にある。だが本稿は、巷の情報錯綜から少し距離を置いて、日本政治の長年の課題である「首相の権力vs官僚支配」に論点を絞って、この問題の本質に迫ってみたい。

● 「安倍一強」は官邸に権力を 集中させた行政改革が成功した結果だ

 この問題については、「首相の権力強化」と「首相の友人に便宜を図った」の2つを分けて考えるべきである。「首相の権力強化」は、いわゆる「安倍一強」と問題視されるが、それ自体は本質的には問題ではないからだ。

 「首相の権力強化」は、90年代以降に取り組まれてきた政治・行政改革の成果なのだ。逆に言えば、「首相の指導力欠如」は日本政治の「永遠の課題」といっても過言ではないものである。特に、日本が高度経済成長を成し遂げた後、国際社会から先進国としての責任を求められるようになった時から、首相の指導力欠如は、国内外で深刻な問題となってきた。

 例えば、80年代から90年代にかけての、日米貿易不均衡の是正を目的とした「日米貿易交渉」である。日本の「市場の閉鎖性」を厳しく批判し、「経済構造の改造と市場の開放」を強く迫ってきた米国に対して、日本側は様々な省庁の間の「縦割り」を超えた、包括的な対応が必要となった。

 しかし、日本国内の外務省、通産省、大蔵省、建設省、郵政省、農水省など様々な省庁と関連する業界、そして自民党の族議員の利害の対立が激化し、首相官邸はこれを調整できなかった。結局、米国の「外圧」によって、国内の対立を抑える場面が目立った。これが、米国との交渉に多大な悪影響を及ぼしたことはいうまでもない(鈴木一敏「日米構造協議の政治過程―相互依存下の通商交渉の国内対立の構図」)。

 より一般的にいえば、高度経済成長の終焉や、通信、輸送手段の発達や冷戦終結による経済・社会のグローバル化によって、世界的な大競争時代に突入した。日本では経済・産業・社会の構造転換が求められた(本連載2012.4.25付)。これに対応するため、歳出削減、規制緩和、規制緩和などが政治課題として浮上した。だが、ことごとく、既得権を維持しようとする官僚組織の抵抗に遭い、改革は遅々として進まなかった。

 当時、竹下登内閣の内閣官房副長官として「日米構造協議」の交渉を取り仕切り、その後自民党幹事長として、また自民党離党後の細川護熙政権・羽田孜政権の幹部として様々な政治・行政改革にかかわったのが、2009年民主党による政権交代を実現した小沢一郎氏だった。小沢氏はベストセラーとなった著書「日本改造計画」で「官僚支配」を徹底的に批判した(小沢一郎著「日本改造計画」)。

 「官僚支配の打破」「政治主導」は、90年代以降の主要な政治課題となった。橋本龍太郎内閣で、22省庁を12省庁に再編する「省庁再編」と、内閣府を新たに創設する「首相官邸機能強化」が実現した。内閣府には、省庁間をまたがる案件を調整し、首相の指導力を発揮させるための様々な機能が設けられた。小泉純一郎首相が、内閣府に設置された「経済財政諮問会議」を経済財政改革の司令塔として使ったことは、よく知られている通りだ(前連載2010.11.16付)。

 さらに、第一次安倍政権時から、民主党政権にかけて継続的に取り組まれてきた「公務員改革」は、第2次安倍政権発足後の2014年に「内閣人事局」の設置で結実した。従来、事務次官や局長ら各省庁の幹部人事は、各省庁側がまとめた人事案がほぼそのまま通っていた。だが、内閣人事局設置後は、首相の意向を反映して各省庁の幹部人事を一元管理し、実質的な幹部の人事権を握るようになった。その結果、首相官邸から省庁への圧力は格段に強まったとされる。

 要するに、既得権の維持で官僚と共闘する「族議員」の政治力を削ぐために、小選挙区比例代表並立制の導入などの「政治改革」(前連載2009.9.1付)と併せて行われた行政改革は、20年以上経って振り返ると、その評価はさておき、改革自体が目標としていたことは見事に実現したといえる。「安倍一強」は、首相官邸に権力を集中させた改革の土台の上に成り立っているからである。

1/5ページ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

特集1 攻める睡眠 守る睡眠
快眠で差がつく・不眠で死なない
特集2 白物家電の逆襲
「新星」たちが起こすビッグバン