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佐藤優は『てのひら京』を読んで 京都人の「いけず」への 効果的反撃を考えた

6/6(火) 11:40配信

Book Bang

 京都で生まれ育った奥沢家の三姉妹、綾香(長女、図書館員)、羽依(次女、京都の一流企業の一般職)、凜(三女、大学院生)の日常生活を描きながら、家族、職業、恋愛などについて深く考察した作品だ。
 京都で生まれ育った綿矢りさ氏にしか書けない、古都独自の風習に関する紹介がところどころにはさまる。これが抜群に面白い。たとえば、京都の「いけず」についてだ。〈京都の伝統芸能「いけず」は先人のたゆまぬ努力、また若い後継者の日々の鍛練が功を奏し、途絶えることなく現代に受け継がれている。ほとんど無視に近い反応の薄さや含み笑い、数人でのターゲットをちらちら見ながらの内緒話など悪意のほのめかしのあと、聞こえてないようで間違いなく聞こえるくらいの近い距離で、ターゲットの背中に向かって、簡潔ながら激烈な嫌味を浴びせる「聞こえよがしのいけず」の技術は、熟練者ともなると芸術的なほど鮮やかにターゲットを傷つける。
 普段おっとりのほほんとして響く京都弁を、地獄の井戸の底から這い上がってきた蛇のようにあやつり、相手にまとわりつかせて窒息させる呪術もお手のものだ。女性特有の伝統だと思われている向きもあるが、男性にももちろん熟練者は多い。嫌味の内容は普通に相手をけなすパターンもあれば、ほんま恐ろしい人やでと内心全然こわくないのに大げさにおぞけをふるうパターンもある。しかし間違ってはいけないのはこの伝統芸能の使い手は集団のなかにごく少数、学校のクラスでいうと一人か二人くらい存在しているだけで、ほとんどの京都市民はノンビリしている。〉

 この作品の中では羽依が「いけず」の攻撃を受けやすい。それだから反撃法についても熟知している。「いけず」を〈黙って背中で耐えるものという暗黙のマナー〉を破って、振り向いて咆哮のような大声で、〈「私に向かって悪口言うてるんかと聞いとるんや!」〉と反撃するのだ。すると少なくとも羽依に聞こえる場所での「いけず」はなくなる。もちろん陰では今まで以上に悪口を言われるようになるが、聞こえない話は存在しないことというルールを自分の中で作れば、イライラせずに済む。
 評者は、同志社大学神学部と大学院で学んだので、京都には6年住んだ。京都人は、学生と観光客(いずれも京都にとって重要な収入源)に対しては優しいので「いけず」に悩まされることはなかった。ただし、大学の京都出身の教師には「いけず」のプロのような人がいた。気にくわない大学院生の修士論文に「なんとなく分かりにくい」というような抽象的な理由をつけて、いつまでも審査しないということもあった。こういうときに暴れる学生には、教師は譲歩する。しかし、おとなしくしていると「いけず」がエスカレートした。京都出身の「いけず」系の学者や評論家の嫌がらせには、評者は「東えびす」の乱暴さを発揮して羽依のように反撃することもあれば、エッセイに特定の人々には真意が分かる「犬笛」(人間には聞こえない音域を使う笛)で応えることもある。

[レビュアー]佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
1960(昭和35)年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館などを経て、1995(平成7)年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受けた。同年『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。主な著書に『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、『日米開戦の真実―大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く』『獄中記』『国家の謀略』『インテリジェンス人間論』『交渉術』『功利主義者の読書術』『外務省に告ぐ』『紳士協定―私のイギリス物語』『いま生きる「資本論」』などがある。

太田出版 ケトル vol.35 掲載

太田出版

最終更新:6/6(火) 11:40
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