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アルゼンチンサッカーは憎悪の祭典だった

6/9(金) 11:10配信

Wedge

 南米には3つの嘘がある。「一杯だけ、一杯だけだから」「金かしてくれよ。明日返すから」。そして「アルゼンチン経済」。

 マウリシオ・マクリ アルゼンチン大統領が5月18日~20日にかけて来日した。目的は貿易・投資の促進だ。アルゼンチンはリチウムなどの資源もあり、農業も盛んで、教養のある人間も多く、白人系の国で民族紛争もない。第二次世界大戦後は「アルゼンチン人ほどの金持ち」と言われ、日本に食糧援助さえしてくれた。

 けれども、貿易保険適用国になったとはいえ、新規の投資には、清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要となろう。アルゼンチンはデフォルトの回数ではベネズエラと争い、政治経済は一時安定してもすぐに溶解してしまう。なぜだろうか? サッカー、焼肉、タンゴ(芸術)からその謎に迫る。

マラドーナとメノティとの出会い

 マラドーナが世界にデビューしたのは日本で開かれたワールドユース(1979年)だった。最近韓国で開催されたU-20W杯の前身である。筆者はスペインチームの通訳として、高輪にあるホテルに参加各国チームの若者とともに留まっていた。

 食事は、各国の選手たちが大広間で呉越同舟だった。アルゼンチン訛りのチェを連発する甲高い声が響くと、夕食会場は静まり返り、俄かに空気が緊張した。各国選手と監督の視線の先には、セサル・メノッティの哲学者のような厳格な顔があった。その後ろには、マラドーナ! すでにサッカー界にたぐい稀な才能が流布されていた若者と、前年のワールドカップの優勝監督に対する畏敬の念、そして彼らが敵になるかもしれない恐怖が一瞬空気を凍てつかせたのである。

 メノッティはナポレオンの戦術や人心掌握術に心酔していて、「代表チームは、特殊戦闘部隊としなければならない」と語っていた。戦争なのだから、他人のことなど忖度せずに要求をとことん付きつけてくる。大会の運営についても不平たらたらであった。

 「日本は食事が悪い、練習場の手配もひどい、通訳(学生アルバイト)はまったく信用できない」

 サッカー後進国の日本には当てはまる点もあったが、相手を思いやるような気持ちは微塵も感じられなかった。

 一方、メノッティの指導を受けたマラドーナは、この大会でMVPに選ばれ、その後「神の手」(1986年ワールドカップメキシコ大会準決勝イングランド戦。手でゴールを入れた行為)に見られるように、どんな手を使っても勝つというアルゼンチン精神を具現する選手となった。ちなみに得点王のラモン・ディアスは、14年後横浜マリノスに移籍し、初代Jリーグ得点王(1993)にも輝いている。

 さて、筆者が仕えたスペインチームは延長の末ポーランドにPK戦で敗れ、ベスト8で日本を去った。決勝はアルゼンチンVSソ連。筆者は記者席で観戦していた。そのとき、生涯続くアルゼンチン人との記念すべき最初の言い争いとなった。横にいた記者が、「ホテルは狭い、街も汚い、サッカーは最低だ!」と口撃するのである。その言い方の底には、憎悪に近いものを感じたので、彼に大声で反論して黙らせた。

 「そんなにいやならば自分の国に帰るんだな。このポルテーニョめ!」

 ポルテーニョとはブエノスアイレス生まれのことである。

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最終更新:6/9(金) 11:10
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