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遺体をめぐる謎、見えてきた「格差」

6/9(金) 12:20配信

Wedge

 殺人事件の遺体を解剖し必死に死因を突き止めようと司法解剖を行うシーンをテレビドラマなどで見かける。ただ、多くの人にとって、法医学解剖医は医師の中でもっとも遠い存在であり、接することもないだろう。それもそのはずで、法医学会が認定した医師は、全国に150人ほどしかいないという。かれらは、日々、どのように遺体と向き合っているのか。『死体格差』(双葉社)を上梓した兵庫医科大学法医学講座の西尾元主任教授に話を聞いた。

――20年間、さまざまな遺体を解剖してきたと思いますが、その中でもタイトルにある”格差”をもっとも感じたのはどんなケースでしょうか?

西尾:会社をリストラされ、独身でひとり暮らしのまま、誰にも発見されず自室で亡くなり、死後数日経ってから発見されるようなケースがあります。一般的にそこに格差を見るのかもしれません。しかし、年間200~300体もの遺体を解剖していると、特別な何かを感じなくなっていました。

 今回、執筆の依頼があり、あらためてここ3年ほど前から始めた解剖した遺体についての記録を読み返すと、経済的、社会的、人間関係の面を見ても、社会的弱者と呼ばれる人が、解剖室へ運ばれてくることが多いことに気が付きました。この記録には、独居か同居か、飲酒の有無、精神疾患の有無、生活保護を受給しているかどうかなどの情報を警察から聞いて記録しています。他大学の法医学教室でそうした記録を取っているのかはわかりませんが、症例研究を行うために記録するようにしています。

――守秘義務というか、この本には書けないことももちろんありますね。

西尾:個人が特定されないように気をつけましたが、あまりにズレてしまうと逆にノンフィクションでなくなってしまうので、支障のない範囲で事実を書きました。

――法医学、特に司法解剖というと、テレビドラマなどの印象が強い人も多いと思いますし、内科や外科と違い医学の中でも、なかなか人々の目に触れることが少ないかとも思います。法医学とはどんな学問なのでしょうか?

西尾:「法医学とは究極のリアリズムの追求」だと、私の“師匠”はよく言っていました。たとえば、内科であれば血圧を測ったり、心電図やレントゲンを撮り診断を下すわけですが、法医学では遺体を解剖し、臓器を1つ1つ取り出して、触ったり、色や硬さを観察したりと非常に原始的な方法で死因を明らかにするわけですからね。

――遺体が解剖室へ運ばれると、まずはどこを見るのでしょうか?

西尾:遺体の全体、外表と言われる体の表面をまずはよく観察します。たとえば、首を絞められて亡くなっていた場合には、圧迫された跡があるかどうか、時には虫眼鏡を使って首のあたりを事細かに見ます。

 しかし、交通事故のような場合には、小さい傷を細かく見るというよりは、傷が体のどこに多く分布しているか、どういった損傷が体のどのあたりにあるかに注目します。死因によって見方は異なりますね。

――体の表面を見たあとは、何をするのでしょうか?

西尾:皮膚を切開し、皮下の状態や筋肉の前に出血があるかどうかを見ます。あとは、頭蓋、胸や腹を開け、臓器をすべて取り出し、各臓器を細かく観察します。

 こうした一連の司法解剖の手順は、法医学会のガイドラインでおおまかに定められています。

――1体解剖するのに、どれくらいの時間を必要とするものなんですか?

西尾:損傷の数が多ければ時間がかかりますが、私は、たいての場合概ね2時間位で終わります。解剖には性格が出ます。私のように2時間位で終わる人間もいれば、4~5時間かける先生もいると聞きます。どういう順序で解剖をしていけば、時間をロスせず、早く終わるか方法を自分なりに培いました。

――20年間、1年間200~300の遺体を解剖している中で、一番印象に残っているのはどんな遺体ですか?

西尾:小学校低学年くらいの少女が、見知らぬ男に刃物で殺害され、解剖室へ運ばれてきたことがありました。「綺麗な赤い服を着ていたんだな」と解剖台に寝かされた少女をよく見ると、それは服の色ではなく、血で肌着が真っ赤に染まっていたのでした。

 遺体を見てショックを受けることはあまりないんですが、この遺体だけは今でも鮮明に覚えていますね。やはり、子どもが亡くなるというのは死の意味合いが異なると思うんです。

――そうですね。人間はいつかは死にますが、幼いうちに亡くなるのは辛いですね。私自身は、この本を読んでいて都会で、しかも家の中で凍死するというのに驚きました。

西尾:それは他の方にも言われました。ただ、私のように法医学を専門にしていると、家の中で凍死するというのは珍しいことではなく、年間に10例ほどあるよくあるケースなんです。その辺は、ちょっと世間から感覚がズレているんでしょうね。

――そんなによくあるケースなんですね。

西尾:家の中で凍死するのは、2つのケースがあります。1つは、貧困状態にあり、ガスや電気が止められているため部屋が寒い場合。もちろん、食べ物がなく、非常に痩せているため、凍死しやすいケースです。

 もう一つは、貧困状態にはないけれども、ひとり暮らしの上に、たとえば脳出血などを起こし意識を失ってしまっているケースです。暖房をつけられませんし、救急車も呼べません。そして自宅で凍死するんです。

 凍死をした方によく見られる現象が「奇異性脱衣」です。凍死した遺体は服を脱いだ状態で見つかることがあります。1902年の八甲田山雪中行軍での凍死者の中にも、この現象が見られたとのことです。原因はハッキリとわかっていないところもありますが、脳の体温中枢が、凍死寸前に寒いにもかかわらず暑いと錯覚し、服を脱ぐのではないかと言われています。

――長年の解剖を通して、日本で起きる殺人の方法に特徴はありますか?

西尾:他国との比較はあまり詳しくないですが、アメリカだと銃による殺害が多いと言われますが、私がこれまで3000体近くの解剖の中で、銃によるものは5例あるかどうかですね。

 日本では、首を絞めたりと言った頸部を圧迫する殺害方法が多いです。

――自殺についてはどうですか?

西尾:私たちの大学で解剖した遺体のうち、自殺と診断された193例について調べたことがありますが、自殺者のうち約2割は精神科に罹っていました。さらに、そのうちの3割の方は処方された薬を大量に服用する服毒自殺でした。精神科に罹っていない自殺者では約8割の方が首をつる方法だったのと比べると特徴がわかるかと思います。他にも3割が焼身自殺を図っていました。

――突然死の研究もされていると。実は、私の知り合いの中にも30代の男性で元気だったにもかかわらず、突然亡くなった方がいます。これはどんな原因が考えられるのでしょうか?

西尾:色々な原因が考えられますが、突然死のうち一定数は不整脈だと疑われます。10代から40代で、元気に生活していたのに、寝たまま朝気がついた時には亡くなっていたというケースや、走っていて突然亡くなるケースでは不整脈の可能性が非常に高いですね。他にも水泳中に起こりやすい不整脈や、急に大きな音を聞き、聴覚に刺激を受け不整脈が起きるケースもあります。

 不整脈は心電図を取り、波形で診断するものなのですが、私のところに運ばれてくるのはすべて遺体ですから、生前に不整脈があったかどうかはわからないんです。解剖をしてもわかりません。ただ、死亡時の状況などを参考にして死因に心室性不整脈や致死性不整脈の疑いと書くことはあります。

 不整脈を起こす原因として、遺伝子が関係している場合のあることがわかっています。

――法医学教室では、遺体だけでなく、子どもが虐待されたかどうかを診ることもあるんですね。

西尾:ありますね。ただ、虐待事例の解剖は少ないので、乳幼児の虐待を専門としている法医学の先生に依頼されることが多いと思います。私の研究室にはそんなにたくさん依頼はありません。

 他にも入院している方の怪我の写真を警察からの依頼で診断することもあります。

――日本の法医学を取り巻く状況に関しては、かねてから解剖率(解剖率とは、明らかな病死と診断されずに警察で検視が行われた後に大学の法医学教室などで遺体を解剖した割合)の低さや人員確保などさまざまな問題が指摘されてきました。先生は、どこが問題だと考えていますか?

西尾:事実として、2015年における解剖率は高い神奈川県で39.2%、もっとも低い広島県では1.5%でした。

 スウェーデンをはじめとする北欧諸国では、警察に運ばれた異状死体のほとんどを解剖していますし、ヨーロッパ全体を見ても半数近くは解剖しています。日本では、1割程度しか解剖されません。だからと言って、日本でも解剖率を欧米並みに上げましょうというのには、無理があるのではないかと思いますね。日本人には日本人の遺体に対する考え方や死生観がありますから。また、もっと解剖するとなると、それだけ税金が投入されることにもなりますから、この本が一般の方に法医学について考えるキッカケに少しでもなればとも思います。

 ただ、死因をしっかりと究明したほうが、生きている人たちへ有益な情報が得られますので、個人的には解剖率は上げなくてはいけないと考えています。

――ここまでは、警察官による検視後、事件性の疑いがあると判断し、法医学教室へ解剖を依頼した司法解剖について話を聞いてきました。他にも承諾解剖、調査法解剖という解剖があるとのことですが、これはどういったものなのでしょうか?

西尾:たとえば、警察が検視した時に、これは犯罪性はないのだけれども、死因がわからない場合があります。こうした場合には、遺族から承諾をとって、死因を明らかにするための解剖が行われます。承諾解剖と呼ばれるものです。遺族の承諾がないと解剖はできません。

――調査法解剖とは?

西尾:遺体に関し、事件性がないと判断されても、承諾解剖には遺族の承諾が必要です。ただ、遺体の身元が不明のような場合、遺族の許可を取ることができませんから、調査法解剖という方法で解剖を行います。

――何のために解剖するんですか?

西尾:部屋も施錠されていて、事件性はなく、おそらく病死だろうけど、念には念を重ね解剖してこうということです。解剖すれば、血液検査で毒物を飲まされていないか、骨折しているかどうかなどがわかりますから。

――初めて本を書いて、周囲の反響はどうですか?

西尾:非常に新鮮な経験でした。たとえば、研究室の秘書さんは「この本を読むと、先生が良い人に見えます」とか、病理学が専門の先生には「先生がそんな風に考えて、解剖をしているとは思いませんでした。すみません」と。何がすみません、なのかはわかりませんが。私が、世間からどう見られているのか、本を出版したことで知ることができました(笑)。

本多カツヒロ (ライター)

最終更新:6/9(金) 12:20
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