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男の娘や女装家は「家族を味方につける」しかない――女装小説家・仙田学の願い

6/9(金) 16:00配信

週刊SPA!

 女装してみたいんだけど、メイクとかどこでしたらいいの?

 ふだんから男の娘として生活したいけどまわりの目が気になる……何かいい方法はないかな。

 女装を楽しむうえで、メイクや着替えをする場所をどうやって確保するかに悩んでいる人も多いだろう。

 一人暮らしなら問題はない。

 でも、家族と同居している人たちは、メイク道具や女装セットを隠す場所に苦労しているのでは。

 今回は、男の娘メイク術ならぬ男の娘メイク道具隠し術、快適に女装できる場所を作る方法について考えてみたい。

 結論からいうと、

「家族を味方につける!」

 これに尽きるだろう。

 家族公認で女装をする、家族に応援してもらいながら女装をする。

 これなら、メイクや着替えをする場所の心配は要らない。

 だが、家族に女装を認めてもらうことは簡単ではない。

 むしろ絶望的に難しい。

 連載の第6回で取材をした、新宿2丁目の女装サロンバー「女の子クラブ」のキャスト、けーこさんは、「女装をしていて困ったことは?」と訊くと真っ先に、「着替える場所がない」と答えていた。

 女の子クラブでは、既婚者の女装子向けにレンタルスペースを貸し出している。

 たとえば、父親や兄弟や彼氏や夫に、実は女装の趣味があったと知ったら……家族やまわりの人はそれまでと同じように接することができるだろうか。

 戸惑い、不安に襲われて、全力で辞めさせる。ドン引きすぎて、関わりを断ちたくなる。一般的な反応は、そんなところかもしれない。

 そして悩むだろう。大切な身近な人は、いったいどうしてしまったんだろう。これからどうなってしまうのかな。なにかできることはないだろうか。

 相手の価値観を尊重したいと思いながらも、世間の目が気になって受け容れることができない。

 女装をしている相手を認める余裕がないのだ。

 私が女装を始めたのは16歳の頃のこと。

 母親の記憶によると、夕方に駅まで車で迎えに行ったら、女の子の恰好をして帰ってきたらしい。

 家を出るときにはいつもの服装だったのに……。

「上はファー付き襟で丈短い茶系の可愛いモコモコした服。下はタータンスカート」

 電話で訊いてみたところ、26年前の出来事なのに、母親の記憶は鮮明だった。よほどのインパクトだったのか。

「これで電車乗ってきたんや、って唖然としたけどな。深くは聞かへんかったわ。なんや楽しそうやったし。それで外歩いてるて、世間の目を考えたら若干恥ずかしかったけどな」

 この連載の第3回で書いたように、きっかけは当時付き合っていた年上の美大生女の子に勧められたことだった。

 おそらく、その日は初めて彼女に服を借りて、どこかで着替えて帰ってきたのだろう。

 ときどき女装をするようになり、家で着替えて母親に駅まで送ってもらうようになった。

「心配は特にしてへんかったわ」

 と母親は繰り返す。

 美大生の女の子を家に招いて両親に紹介していたこともあって、女装はセクシャリティに絡むものではなく、遊びのひとつとしか思わなかったのだとか。

 その直前まで2年近く引きこもっていた息子が外に出るようになって、むしろほっとしたらしい。アルバイトを始めて友達ができて女の子と付き合うになって、と社会性を帯びていく過程のひとつと捉えたのだろう。

「女の子の恰好してたけど、ほんま元気になってよかった思たわ。似合ってたし、可愛かったで」

 大阪芸術大学に進学して一人暮らしを始めてからも、日常的に女装をしていた。

 普通にスカートを履いて電車に乗り、授業を受けていた。

 大学1年の頃につきあった同級生の女の子も協力してくれた。服を貸してくれたり、一緒に女装服を買いにいったり。

 その子を実家に連れていったときにも、私はスカートを履いていた。

「2人で街歩いてたら、男の子に声かけられたゆうて、嬉しそうに話してたで」

 母親は終始一貫、面白がっていた。

 私が女装姿で街歩きを楽しんでいるところにたまたま行きあったときにも、声をかけてしばらく立ち話をしたらしい。私は全く覚えていない。

 20代に入ると、私は女装から遠ざかった。

 再開したのは、20年ほどが経った頃。連載の第1~2回で詳細を書いた、篠山紀信氏にグラビア撮影をしていただいた日がきっかけだった。

 雑誌の表紙になって嬉しかったと母親はいう。

「ボランティアの集まりのときに、みんなに披露したんよ。そしたらひとまわり年上の女性が、仙田さん、こんなこと心配やないの?って。え、面白いやないですかって答えたら、そのひと首かしげてはったけどな。これが世間の声なんか、と思ったわ。でもその人、学の本買ってくれはったで」

 一貫して世間の声を気にしない母親と違い、父親はどう思っていたのかはわからない。女装姿をリアルで見たことはたぶんなかった。

「グラビア見せたときには、お父さん、うん、ゆうて見てはったで。なんとなく嬉しそうな表情に見えたよ。学の本は、学著作って書いた紙貼って、自分のクローゼットに大事に保管してはる。仙田家親族にも送りまくってはったよ」

 中学生の頃、反抗期になってぶつかって以来、父親とはずっと疎遠な感じで生きてきた。それが生きづらさの原因かもしれないと思ったこともある。

 父親と対話をして和解することから、つまりは自分と向きあうことから逃げているのではないか、という強迫観念を抱きながら生きてきた。いまだに、父親とはどう接していいのかよくわからない。年に1~2回、実家に帰ったときにも碌に口を利かない。

 父親ももう72歳。会える時間は限られている、とぼんやり考えることはあるのだけれど。

 でも小説を通して、そんな形で対話ができるのなら、それがうちの家族のありかたなのかもな。

 今回、母親と電話をしてそんなことを思った。

「『SPA!』の連載、面白いけど、あんまり過激にならんようにな。深みにはまってほしないわ。怖い人に絡まれたりせんよう気いつけや」

 どうやら「女の子クラブ」の記事を読んで、新宿の裏社会と繋がりかけているのでは、と心配になったらしい。心配するポイントが微笑ましい。繋がる予定はないと断言しておいた。

 いつからだろう、母親の髪の毛は真っ白になっていた。

 結婚式のスピーチで「手に負えない子どもでした」と呟いた母親の白髪の原因は、私の好き勝手なことばかりしてきた生きかたにあると思ってきた。

 でも案外、母親もノリノリだったのだ。

 男の娘がメイクや着替えをする場所を確保するためには、「家族を味方につける」しかないと最初に書いた。

 私の母親や、出会ってきた女の子たちはかなり特殊な部類に入るのかもしれない。

 でも「特殊」の枠におさめるだけで済ませたくはない。

 ガンプラやサバゲ―やバスケと、女装は何が違うのだろう?

 無意識的にそう感じている家族も少なくはないはず。

 「世間様教」という宗教から距離を置く寛容さを手に入れてもらえれば、味方になってくれる家族もいる。

 この連載が、そんな家族の目に留まることを願っている。

 とはいえ、私も大きな壁にぶち当たることになる。

 結婚して新しい家族を作ったときのことだ(続く)。

<文/仙田 学>

【仙田学】

京都府生まれ。都内在住。2002年、「早稲田文学新人賞」を受賞して作家デビュー。著書に『盗まれた遺書』(河出書房新社)、『ツルツルちゃん』(NMG文庫、オークラ出版)、出演映画に『鬼畜大宴会』(1997年)がある

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最終更新:6/9(金) 16:00
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