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女流歌人・柳原白蓮が行き場のない愛の苦しみを詠んだ歌【今日の名言】

6/10(土) 8:10配信

サライ.jp

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身」
--柳原白蓮

数年前、NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)で『花子とアン』が放送された。『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子を主人公とする物語である。その中で、花子の東洋英和女学校以来の「腹心の友」である蓮子の巻き起こす恋愛事件がちょっとした話題になっていた。

世間の目などなんのその、家庭を振り捨ててまで走る激しい恋というのは、それだけ人をひきつけるということなのか。蓮子役の女優・仲間由紀江、捨てられる炭鉱王の夫役の俳優・吉田鋼太郎の演技も、なかなかの見物(みもの)であった。

蓮子にはモデルがいる。それが佐佐木信綱門下の女流歌人・柳原白蓮(びゃくれん)である。

柳原白蓮は明治18年(1885)、伯爵・柳原前光(さきみつ)の次女として生まれ、15歳で結婚して一児をもうけるも破婚。その後、福岡の炭鉱王で25歳年上の伊藤伝衛門と再婚。しかし、白蓮にとっていずれも真の愛情を感じることのない偽りの暮らしだった。

掲出の短歌は、その頃の自身の心持ちを詠んだもの。どこにも行き場のないようなわが身を持て余し、このままでは生きているのか、死んでいるのかもわからない。そんな意味であろう。他に、次のような歌もある。

「踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故(ほご)いだき立てる火の前」

心にある真実の叫びを、言葉にして詠むか詠まないかを、踏み絵のように試される。歌人としての情熱をも抑圧される、鬱屈した日々を過ごしていたのかもしれない。

そんな年月を積み重ねていたある日、白蓮は東京帝国大学の学生の宮崎龍介と出会って恋に落ち、出奔する。出奔の数日後には、大阪朝日新聞に白蓮から夫への絶縁状までが掲載された。

「私は今あなたの妻として最後の手紙を差上げます」とはじまり、偽りの暮らしの苦しみ悩みを訴え、「しかし幸にして私にはひとりの愛する人が与えられ、そして私はその愛によって今復活しようとしておるのであります」と出奔の理由(宮崎との愛)を述べる。ただ、決してヒステリックに感情に流されず、「長い間私をご養育下さった御配慮に対しては厚く御礼を申し上げます」と付け加えることも忘れなかった。

宮崎龍介の友人や知り合いの朝日新聞記者の計らいによる随分と思い切ったやり方だったが、そこまでしなければ容易に現状から抜け出せない事情もあったのだろう。

炭鉱王の伊藤も、別れるとなったら、未練がましいことは一切なく潔いものだった。白蓮は宮崎との平穏な新生活をスタートさせ、ふたりの子をなしていく。

「幾億の生命の末に生れたる二つの心そと並びけり」

とは、この頃の自分たちの心境であろう。

だが、時代は彼女になおも試練を与える。早稲田大学在学中の長男が第二次大戦中、学徒動員で駆り出され、戦死してしまうのである。その悲しみをも、彼女は歌うしかない。

「英霊の生きてかへるがありといふ子の骨壺よ振れば音する」
「もろともに泣かむとぞ思ふたたかひに子を失ひし母をたづねて」
「わが肩に子がおきし手の重さをばふと思ひいづる夏の日の雨」

ひとりの女性としてさまざまな葛藤を経験した末、戦後の白蓮は、平和活動に積極的に取り組んでいった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

最終更新:6/10(土) 8:10
サライ.jp