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兵法家・曹操の用兵術

6/11(日) 8:00配信

NHKテキストビュー

『三国志』の中でも屈指の大規模戦、官渡の戦い。兵力で圧倒的優位を誇る袁紹の有利が揺るがない状況で、その前哨戦である白馬の戦いを、曹操はどのように戦ったのでしょうか。早稲田大学 文学学術院 教授の渡邉義浩(わたなべ・よしひろ)さんが解説します。



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兵力差がある戦闘において、『孫子』では運動戦を常道とします。運動戦とは、陽動などを用いて常に戦局を動かしながら、局地的に兵力差の解消される局面を作り出す作戦です。官渡の戦いの前哨戦となった白馬の戦いは、まさに運動戦の典型といえる戦闘でした。



曹操はこの白馬の戦いで見事な勝利を収めます。陳寿はその過程を『三国志』武帝紀などに詳細に記していますので、具体的に戦局を追ってみましょう。



袁紹は、拠点であるギョウ(※1)から大軍を率いて南下してきました。一方、曹操軍は許から北上し、黄河へと向かいます。黄河は日本の川と違って、簡単に渡れる川ではありませんので、どのタイミングで渡河するかが、非常に重要なポイントとなります。袁紹軍は、まず猛将・顔良(がんりょう/?~220)が黄河を渡り、白馬を包囲してきました。白馬では曹操軍の劉延(生没年不詳)が守備の任についています。



※1:ギョウは「業」におおざとの字。



曹操は白馬の救援に向かおうとしますが、これを留めたのが荀攸です。荀攸は、まず延津(えんしん)まで進み、そこから黄河を渡って袁紹軍本陣の背後を突く姿勢を見せれば、敵はそれを阻止するため、渡河前の軍勢を西に向ける。そうして敵の大軍を分裂させた後で、白馬の救援に急行して数的不利のない局面をつくり出せばよい──という作戦を提示しました。戦況は荀攸の見立てのままに推移します。大規模合戦の場合、スパイが双方に入り込んでいますから、互いの軍の動きは筒抜けです。延津の曹操のもとには、渡河前の袁紹軍が西に向かったとの情報が入ります。これを受け、曹操軍は白馬を包囲する顔良の軍勢を急襲したのです。一方、白馬の顔良は、曹操軍が延津で黄河を渡るとの情報を得ていましたから、迫りくる曹操軍を見て驚愕し、このとき曹操に降ったばかりの関羽によって討ち取られました。



『三国志演義』では名のある武将同士の一騎打ちが頻繁に描かれますが、そもそも名のある将軍同士が戦場でまみえ、直接刃を交えることは非常に珍しいケースです。正史『三国志』では、わずか数例しかありません。この場面はその中の一つであり、『三国志』関羽伝に詳しい描写があります。そこには袁紹軍の大軍の真っただ中で顔良を仕留め、袁紹軍の諸将の誰にも手を出させず、揚々と首級を携えて帰還する関羽の姿が描かれています。



こうして白馬の包囲は解かれました。出鼻をくじかれた袁紹軍は、大軍の勢いをもって黄河を渡り、その先鋒部隊は延津の南(南阪)へ到達します。ここで曹操は、輜重(しちょう/軍事物資)を餌に、袁紹軍の文醜(?~200)率いる五、六千の騎兵を油断させ、六百に満たないわずかな騎兵でこれを急襲。ここでは文醜を見事に討ち取っています。かくして、白馬と延津の局地戦では、曹操軍が積極的な用兵で運動戦を展開し、数的不利にも関わらず見事な勝利を収めました。



しかし袁紹軍の本隊が壊滅したわけではありませんので、戦況全体としては大きな変化はなく、袁紹の大軍勢は陽武まで進軍します。曹操は大軍に押されて、官渡に籠もる長期戦しか選択肢がなくなりました。この官渡が落とされれば、曹操の本拠である許は間近です。こうして、いよいよ官渡の戦いが始まります。



■『NHK100分de名著 陳寿 三国志』より

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