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【石田雄太の閃球眼】子どもの野球は、子どもに返す

6/12(月) 17:00配信

週刊ベースボールONLINE

 野球にまつわる仕事をしているものの、正直、野球は下手だ。

 というより、本格的にやった経験がない。小学生のときには近所に野球チームがなく、だから町内対抗のソフトボールのチームに入って、Y校もどきのスカイブルーのユニフォームを着た。あとは、大学で入った軟式野球同好会の、阪神タイガースと同じ、グレーの縦縞のユニフォームを着たことがあるだけ。つまり野球経験は、と訊かれたら、ない、というしかない人生だった。

 それでも、そこそこボールは投げられるし、バッティングセンターではまあまあの打球が飛ぶ。プロ野球選手の練習を取材したときには、キャッチボールの相手をしたり、バッター役を務めたりしたこともある。そういうとき、野球経験がない旨を伝えている分、だいたい、選手に意外そうな顔をされる。へーっ、けっこう、やるじゃん、と……(笑)。

 こんな自慢にもならない話を連ねたのは、経験もない野球の真似事をして、かろうじてサマになっているのはなぜなのかを考えてみたからだ。じつはいくつか、思い当たることがある。そのうちの一つは、子どものころ、寝転がって天井へボールを投げ上げるのが好きだったことがある。ヒマさえあれば寝転がって、軟式テニスのボールや軟球を、家の天井に向かって投げ上げていた。

 その際のポイントは3つ。その1は、まっすぐ投げ上げ、投げ終えた位置から右手を動かさず、そのまま戻ってきたボールを捕ること。その2は、天井にボールがギリギリ、当たらない高さまで投げ上げること。その3は、それをミスなく永遠に続けること。大人になってから知ったのだが、この“天井投げ”という練習は、コントロールを身につけるのに一定の効果があるのだという。

 いや、自分で綴っておいて申し訳ないが、この文、違和感だらけだ。

 練習? 効果?

 そんなことを期待して天井にボールを投げていたのではないからだ。なぜ、天井に向かってボールを投げるようになったのか……誰かに教わった記憶もないし、野球マンガで見た覚えもない。想像するに、寝転がっているとき、そこにボールがあったから投げ上げたのだろう。練習しているつもりもなければ、効果を期待していたわけでもない。ただ、楽しかったから、ボールを投げ上げた。

 思えば小学生のとき、ソフトボールのチームに入っていただけではあったが、じつは毎日、“野球”をやっていた。昭和50年代のことだ。一人のときは、カベ当て。友だちと二人のときは、家の前の狭い広場で、ひとりがピッチャーをやって、ひとりがバッターをやった。三人集まれば公園に繰り出し、三角ベース。人数が増えれば、野球に近づく。キャッチャー、サード、ファーストが揃う野球は、じつにぜいたくだった。

 つまり、野球は子どものものだったのだ。子どもの野球に大人は誰一人、介在しない。上手くても下手でも、評価されることもなければ、怒鳴られることもない。練習もしないし、効果なども期待しない。ジャイアンとのび太のように、子どもの中で上手い、下手はシビアに評価されたとしても、すべて遊びの延長、子どもの世界の話だった。

 だから、下手でも野球が嫌いになることはなかった。子どものころの野球は、楽しいだけのものだったからだ。しかし今の世の中、野球が下手な子どもは、せっかく野球を始めても、最後は野球が嫌いになって、やめてしまう。それはなぜか……そこに大人が介在するからだ。大人が“指導”という名の介在をするから、野球が楽しくなくなる。

 学童野球の問題を語るとき、勝利至上主義とか指導者ライセンスの問題とか、野球界の未来を危惧した大人たちがあれこれと議論を重ねている。もちろんそうした侃々諤々も大切なことだが、その一方で、大人が介在しない子どもだけの遊びの野球を、今の子どもたちにどうすれば提供できるのか、という視点も必要なのではないだろうか。

 野球が下手な子どもに、大人になっても野球が好きでいてもらうためには、上手い、下手で子どもを評価する大人たちが邪魔なのだ。子どもの野球は、子どもに返す――その発想が、子どもたちが見る野球の景色を一変させるような気がしてならない。

文=石田雄太 写真=BBM

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