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大河ドラマでの怪演が話題騒然――春風亭昇太が今川義元“愛”を語る!

6/12(月) 17:00配信

週プレNEWS

先月19日、静岡市で「今川義元・生誕500年」のキックオフイベントが行なわれた。

今川家の菩提寺で静岡市市長は、義元の名君ぶりを正しく現代に伝えようと、熱い「今川義元復権宣言」を読み上げた。確かに、桶狭間の戦い(1560年)で織田信長に討たれた義元は、「公家かぶれ」「軟弱」「負けて当然」といったイメージが根強い。

【画像】今川義元を語る春風亭昇太

でも、真実の姿はそれとはまったく異なると、放映中の大河ドラマ『おんな城主 直虎』で義元役を見事に演じきった、現代最高の噺家・春風亭昇太は語る。

■故郷の思いを背負った義元役

―『おんな城主 直虎』での、昇太師匠のしゃべらない演技が大きな話題になりました。

昇太 初めて台本を見たときはセリフがなくて「楽だなあ」と思ったんですよ(笑)。でも撮影現場に行ったら大変で、セリフのない演技って、自分がどのぐらいの表情をしているのかわからないんですよ。

―ものすごいインパクトでした。そして師匠は戦国時代に大変詳しく、しかも義元は師匠の故郷・静岡の人ですから、今回の役は特に思い入れがあったのでは?

昇太 収録前に静岡で講演会をやったんですが、そのときいろんな人たちから「今川義元をよろしくお願いします。頑張ってください」って手を握られましたからね(笑)。

今川義元については、中学生の頃から研究本を読んできました。僕は当時から古城巡りが好きで、縄張図という古地図(城郭の配置図)を見ながら現地を歩いていたので。

―中学生が天守閣でなく、山の中の石積みの跡とかをひたすら歩いてたんですか?

昇太 ひねくれ者なので(笑)。鉄道好きに撮り鉄とか乗り鉄とかあるように城好きにもいろいろあるんですよ。

―へえ。

昇太 400年前の山城を見に行くと、整備されていない城はほとんど森です。それで頭の中でその森を全部伐採し、山城の全体をイメージして、さらに敵が攻めてきた防御プランまで想像するわけです。

―当時の合戦シーンを妄想するんですね。

昇太 そうそう。足軽になったつもりで古城を駆け巡ったり、敵を攻めたりする。

―当時の友達はそれに付き合ってくれていたんですか?

昇太 だから友達がほとんどいませんでした。ひとりだけ、付き合いのいい高橋君と古城探検をしていた(笑)。



―さて、今川義元といえば、公家かぶれで軟弱で、信長に負けて当然だったみたいなイメージが強いんですが。

昇太 でも、それって信長の側に立ったドラマや映画の影響だと思うんですよ。まともな中世の本を読んでいる人で、そんなことを思っている人はいないんじゃないですか。

―では、実際の義元はどういう武将だったんでしょう。

昇太 きちんとした歴史書や史実を基に彼の人生をふり返ってみると、実は彼こそが戦国大名として一番最初に独立した戦国武将であり、戦国時代の先駆者なんですよ。

まず、義元は5番目の子供だったのに今川家の家督を継いでいます。継承権が下位の義元は出家して、京都のお寺で勉強していますが、今川家の当主となった兄の氏輝(うじてる)は病弱だったようで、義元は京都から駿府(すんぷ・今の静岡市)に呼び戻されます。でも、しばらくしたら家督を継いだ兄が亡くなるんですよ。しかも、2番目の兄・彦五郎も同じ日に亡くなる。

―義元がふたりの兄を暗殺したってことですか?

昇太 そこはわかりませんが、家督を義元に継がせようとする一派が仕組んだという説はあるし、義元がその動きを知らなかったはずもないだろうと。

その後、もうひとりの兄・恵探(えたん)と家督争い(花倉の乱)になるんですが、義元は恵探を殺し、もうひとりの兄は僧侶のまま義元を支持して、義元が今川家の当主になる。戦国時代は身内同士でも血みどろの権力争いがあったわけで、義元は4人の兄を蹴落として勝ち上がってきたわけです。決して軟弱じゃない。

それに当時は殿様といっても、まったく安定した地位ではないわけ。大河ドラマの井伊家のような、小さな領土を持った武将がいっぱいいて、それぞれの武将は自分の土地を安全にしてくれる人を殿様に選んでいた。ということは、義元が今川家の当主だったら安全と考えた武将が多くいたわけです。

■今川義元は名君だった!

―当主になった義元はどんな殿様になったんですか。

昇太 まず、武田信玄の姉と結婚して、武田家との争いを避けることに成功します。ところが関東の北条氏綱(うじつな)が攻め込んできて、今の静岡県三島市辺りの領土を失うんです。その後、北条と敵対していた山内上杉(やまのうちうえすぎ)と協力して、北条家を攻めて領土を取り戻し、武力と権力を盤石にしていきます。

―外交も戦争もできる人だったと。内政のほうは?

昇太 今川家の領土は稲作に向いていなくて石高(こくだか)は少なかったようですが、義元は東海道での交易や駿河湾(するがわん)での海域貿易で経済を発展させ、財力を蓄えていきます。さらに富士金山など5つの金山を開発する。僕は今川館から発掘された、金箔(きんぱく)の杯を見せてもらったことがあります。

―豪勢ですねえ。

昇太 義元は駿府を発展させ、そこは大内(山口)、朝倉(福井)と共に戦国三大文化の地でした。もちろん文化の中心は京都だから、京都の公家を駿府まで招いたりしたし、京都の文化やマナーを身につけることは、武将のトップとして必要だったでしょう。世間一般の誤解として、義元の「公家かぶれ」がありますが、もともと彼の母・寿桂尼(じゅけいに)は公家の娘だから、当然、公家との交流はありますよ。お母さんの親戚関係の人と付き合うのは当たり前だから。そこは、戦国のイメージではないかもしれないけど。

―確かに、成り上がりのほうが共感を得ますもんね。

昇太 義元は政治でも功績を残しています。それが「今川仮名目録追加二十一条」という分国法で、義元の父・氏親が制定した「今川仮名目録」をベースにしている。簡単に言うと、軍兵の組織づくりや、年貢の取り立て方法、裁判のやり方などを法制化したんですが、最も重要なのが20条です。「自分の力量を以(も)って国の法度と申付く」とある。

今川家は室町幕府から任命された守護大名だったんですが、この20条で「幕府ではなく私の命令に従え」と定めた。義元の「室町幕府から独立した戦国大名」であることの宣言なんです。こうして見ると、義元はすごくバランスのいい人でした。

―ホントですね。

昇太 さらに、自分の息子・氏真(うじざね)を北条氏康の娘・早川殿(はやかわどの)と結婚させ、甲斐の武田、関東の北条と「甲相駿(こうそうすん)三国同盟」締結に成功する。そうなると、いよいよ三河に進出して、さらに領土を拡大し、織田家との戦いになるのです。

◆このインタビューの続きは、明日配信予定!

●春風亭昇太(しゅんぷうてい・しょうた)
1959年生まれ、出身は今川義元のお膝元、静岡県静岡市清水区(旧清水市)。落語家生活35周年を迎え、日本一多忙な落語家にして、ご存じ『笑点』の6代目司会。趣味の城巡りは本格的でエッセイ集『城あるきのススメ』(小学館)もある。現在、三宅裕司率いる「東京喜劇 熱海五郎一座~フルボディミステリー消えた目撃者と悩ましい遺産」に出演中(6月27日まで、新橋演舞場にて)

(取材・文/三ヶ尻智昭 撮影/本田雄士)

最終更新:6/12(月) 21:04
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