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豊崎由美は山下澄人の『しんせかい』を読んで融通無碍にしてタブラ・ラサな才能と称す

6/12(月) 7:00配信

Book Bang

 わっはっはっ。呵々大笑のトヨザキです。大森望と芥川賞&直木賞をウォッチングし続け、はや12年。とはいえ、両賞とも結果に納得のいく回にはなかなか遭遇できるものではありません。が、第156回の結果(芥川賞が山下澄人『しんせかい』、直木賞が恩田陸『蜜蜂と遠雷』)には大満足。
 恩田さんはすでにして人気作家なので、放っておいても受賞作は売れまくるでしょうから、ここでは触れません。〝いつのまにか〞どこかにいて、〝なぜか〞としか説明しようのないヘンテコな出来事に遭遇する主人公のいる世界では、実際に起きたことと考えたことや、現実と夢や、自分と誰かが地続きになっていて、読んでいるうちに見当識を失いそうになってしまう。そんな異形の小説『緑のさる』の後ろから、ある日のっそり姿を現した大男の受賞を、言祝ぎたいと思う次第です。
 そもそも山下澄人とは、いかなる小説家なのか。一人称であるかぎり、語り手が知り得ないことは書いてはいけない、語り手は物語世界の中で遍在してはいけないといった縛りから、一人称小説を自由にする。自分と他者を隔てる境界から人間を自由にする。一人称遍在視点とでも名づけたくなる独特の語り口によって、そうした難しい試みに取り組んできた小説家のように、わたしには思えます。
 そして、受賞作『しんせかい』で生まれた新しいスタイルが、『あしたのジョー』の矢吹ジョーが力石徹戦で見せた戦法を彷彿させる、ノーガード文体! 
 語り手は、著名な脚本家が開いた演劇塾を受験し、二期生として合格した、作者と同じ名前を持つ19歳の〈ぼく〉です。俳優や脚本家志望の若者たちが自給自足の共同生活を営みながら、【先生】に学ぶという【谷】での過酷な生活や、塾生たちとの交流を描いていくのですが、それが倉本聰が主宰していた富良野塾であることは自明。
 ところが、〈ぼく〉は知らないんです。そもそも倉本聰のことを知らない。俳優志望といったって、映画を観るのが人並み程度に好きなくらい。そんな、タブラ・ラサ(白紙)的な〈ぼく〉の視点から描かれる【谷】の生活は、勉強よりも肉体労働の比重大。閉鎖的で異様にも感じられるんです。ところが、何もかもあるがままに恬淡と受け止める〈ぼく〉の性質や、ちょっとズレた会話のおかげで、そうした引いてしまうような状況の多くを笑いに転調。飾らない、いきがらないから、子供の作文のようにも読めてしまう、過度なまでに素直な語り口、すなわちノーガード文体がもたらす、他の小説では味わえないような無防備さがこの小説の魅力なんです。
 この、これまでの作品には見られなかった新しい文体はどうやって生まれたのか。想像にすぎませんが、〝作った〞のではなく、作品自体が〝呼んだ〞のではないか。山下澄人はただその呼びかけに応じて書き進めていったのではないか。わたしにはそんな風に思えるんです。融通無碍にしてタブラ・ラサ。そんな稀少な才能が、第156回芥川賞作家・山下澄人なのです。

[レビュアー]豊崎由美(書評家・ライター)

太田出版 ケトル vol.35 掲載

太田出版

最終更新:6/12(月) 11:46
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