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上司としては三流以下? 大河の「井伊直政」は部下に冷酷だった

6/13(火) 15:12配信

日経BizGate

礼儀正しく、気遣いもできる美少年

 徳川軍団内において、精強な赤備えを率いる大将であり、戦場で「赤鬼」と呼ばれた井伊直政は、意外なことに小柄な人物であった。家康に寵愛されたほど美しい顔立ちで、侍女たちにも人気があったようだ。

 ただ、戦場に出る武士としては、小柄な美男子というのはメリットではない。だからこそ戦場で先頭に立って雄々しい活躍をし、目立つ必要もあったのだろう。

 直政は戦場では激しかったが、平素は口数が少なく他者へさりげない気配りができる人物だったようだ。幼少のころから他人の家を転々としたために自然に身につけた処世術とも考えられる。それがわかる逸話を紹介しよう。

 家康が秀吉に臣従することになったとき、気を遣った秀吉は人質として生母の大政所を差し出した。このとき、直政は大政所の警護を任されるが、家康の家臣たちは「殿(家康)に万一のことがあったら殺すぞ」と鼻息荒く出迎えている。

 これに対して直政は、毎日朝夕と菓子などを持って大政所にあいさつし、話し相手になるなど何かと世話をした。

 息子の敵の本拠地で心細い思いをしていた大政所は、直政の細やかな対応にいたく感動し、大坂城へ帰るときに直政が送り届けてくれるよう家康に頼んだという。ここではじめて直政は秀吉に会った。

 母から「よくしてもらった」と言われれば、人たらしの秀吉が好印象を抱くことは想像に難くない。箕輪に移るとき、秀吉が直政の加増を家康に促したのは、このこともあったのだろう。

 また、関ケ原の戦いの前、緊迫する情勢のなかで暗殺計画が発覚してひそかに戻ってきた家康を出迎えることがあった。直政は、民衆を怖がらせぬよう、騒ぎにならないようにと、甲冑の上に平服を着て目立たぬように行動した。こうした細かい配慮を随所にみせたのである。

 直政は、とくに目上の者から人気があり、信頼された。戦場の武功だけでなく、「かゆいところに手が届く」配慮ができたから、かわいがられたのかもしれない。上司からみれば、懸命に働き、手が回らないところでは万全のサポートをするという、使いやすい部下なのである。

 若くして急速に出世し、ほかの徳川家臣たちから妬まれやすかった直政にとって、頼みの綱は家康からの絶大な信頼だった。家康に対しては細部にわたって配慮し、誠心誠意尽くす必要があったのかもしれない。

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最終更新:6/13(火) 15:13
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