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ここが歴史の転換点! 応仁の乱、最大の合戦『相国寺の戦い』

6/14(水) 21:01配信

エイ出版社

歴史上のターニングポイントはココ!

今、歴史ファンの中で盛り上がりを見せている『応仁の乱』。京都の街を中心に有力な守護大名が約11年間も戦い続けるのだが、皆さんはこの応仁の乱最大の合戦をご存知だろうか? 今回は歴史上のターニングポイントとも言える『相国寺の戦い』について紹介しよう。

戦略上の拠点! 相国寺を奪え!

相国寺は足利義満が花の御所に隣接して建立した禅宗の寺だ。場所が御所のすぐそばという事もあり、戦略上の重要拠点として西軍・東軍で取り合いになり、何度も戦火に巻き込まれた。

東軍・西軍・東軍と目まぐるしく変わる相国寺の取り合い

東軍の主な武将
畠山政長、武田信賢、赤松貞村、京極持清など

西軍の主な武将
畠山義就、大内政弘、一色義直、土岐成頼、六角高頼など

相国寺の戦い【10月3日】

1467年8月に大内政弘が入京し、9月に反攻を開始した西軍。内裏を占拠するなどし、東軍を花の御所と隣接する相国寺付近に封じ込めた。こうして10月3日に西軍は相国寺の東軍に総攻撃をかける。東軍は相国寺の南方、烏丸殿付近に歴戦の将、京極持清や武田信賢らを配して防戦する。しかし、西軍の畠山義就、大内政弘らの猛攻が続く。さらに相国寺に火が上がると、東軍側に動揺が広まったのか全軍が撤退。西軍が相国寺を占拠した。

相国寺の戦い【10月4日】

東軍側も撤退したが、このままでは終わらない。寡兵ながらも畠山政長らを相国寺に向かわせる。政長は相国寺内に陣取る一色義直、六角高頼軍を急襲し、両軍を混乱に陥れる。暴れまくる政長軍に西軍は崩れ、撤退を余儀なくされた。政長らは800もの首を奪い、相国寺の奪還に成功した。

結局、痛み分けとなったこの大合戦だが、双方とも痛手は大きく、戦は小康状態を迎える事になる。この相国寺の戦いを経て京都での戦いは下火となり、戦火が地方に広がってゆく。地方での覇権争いが有力な守護大名の強大化や下克上の風潮を呼び、時代は大きく変化してゆく。そのような意味でもこの相国寺の戦いは大きな転換点になったのだ。

●小和田 泰経(監修)
1972年東京都生まれ。静岡英和学院大学講師。NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』に資料提供として参加。TV出演も多数。

(出典:『図解 応仁の乱』、監修:小和田 泰経、CGイラスト:成瀬 京司)

ヤマダタケシ

最終更新:6/15(木) 10:29
エイ出版社