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参勤交代を免除された藩ってどこ?

6/15(木) 17:39配信

サライ.jp

参勤交代を免除された藩ってどこ?

各藩の大名の経済力を抑える意味もあって始まった参勤交代。国元と江戸を行ったり来たりするのには時間もお金も相当かかったといいます。

大名行列には多くの藩士が随行していました。中には、数年の間江戸に常駐し、今でいう単身赴任をしていた人もいたそうですよ。

というわけで今回は参勤交代に関するクイズを4問、「江戸文化歴史検定」(通称・江戸検)の過去問題からピックアップしてみました。ぜひ挑戦してみてください。

【クイズ1】
藩士が江戸屋敷で勤務することを「江戸勤番」といい、いくつかの勤務形態がありました。では、参勤のため出府する藩主に従って江戸へ出てきて、到着後すぐに帰国した人たちを、何といったでしょう?

(い)江戸詰
(ろ)定府
(は)立帰り
(に)留守居役

正解(は)
藩主の参勤の際に江戸に出て、すぐに帰国する者を「立帰り」と呼んだ。常に江戸にいる者が「定府」、藩主とともに江戸にいて藩主とともに帰国するのが「江戸詰」である。「留守居役」は、幕府や他藩との外交にあたる江戸屋敷の重要な役職。

【クイズ2】
幕府は、大名が将軍の家臣としての忠誠を示す臣従儀礼として、参勤交代を制度化しました。では、自身が将軍となって江戸城に入る前に、大名として東海道を通って参勤したことがあるのは、次のうち誰でしょう?

(い)6代将軍徳川家宣
(ろ)8代将軍徳川吉宗
(は)14代将軍徳川家茂
(に)15代将軍徳川慶喜

正解(ろ)
8代将軍吉宗は、紀州徳川家2代藩主の庶子として和歌山で生まれた。宝永2年(1705)、長兄、次兄の相次ぐ死により5代藩主となる。紀州藩も参勤交代を義務づけられており、吉宗も参勤している。

【クイズ3】
大名行列が往来を通り過ぎるとき、前方の先払いが「下に-、下に-」という声で沿道の人を平伏させていましたが、これはすべての大名に許されていたわけではありません。では、公に認められていた家は、次のうちどれでしょう?

(い)御三家
(ろ)老中をつとめたことのある大名家
(は)国持格の大名家すべて
(に)3万石以上の大名家すべて

正解(い)
鹿島万兵衛『江戸の夕栄』(中公文庫)によると「御府内諸候方の行列は御三家(尾張・紀州・水戸)御三卿(田安・清水・一ツ橋)のほか路傍の者に下に居れと下坐させぬなり」とある。ただし将軍の娘は他家に嫁いでもこれが許された。

【クイズ4】
参勤交代は、寛永12年(1635)に制度化されたといわれますが、なかには参勤交代をせず、江戸に定府していた藩がありました。それは次のうちどの藩でしょう?

(い)松前藩
(ろ)対馬藩
(は)尾張藩
(に)水戸藩

正解(に)
水戸藩は徳川将軍家のひとつ水戸徳川家を藩主とし、参勤交代の義務のない江戸定府の藩であった。藩主は幕府の許可を得て帰国することになっていたが、あまり水戸の土を踏まない藩主もあった。

*  *  *

以上4問、いかがでしたか? 大名行列でお決まりの「下にー、下にー」という言葉は、全ての大名が使えたわけではなかったのは驚きですね!

今回のクイズで1番難しかったのは3問目で、正解率は66%。全体的に簡単だったかもしれませんね。全部解けた人は合格も間近かもしれませんよ! ぜひ江戸検定にチャレンジしてみてくださいね。

※問題の出典:『第4回 江戸検問題公式解説集』『第3回江戸文化歴史検定(2008年度)江戸検出題問題公式解説集』

取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)

最終更新:6/15(木) 17:39
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