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IBMひっくり返した「営業の華」 富士通社長、スパコン受注の裏で何が!?

6/18(日) 19:40配信

NIKKEI STYLE

■富士通の田中達也社長(60)は入社後、法人営業部門に配属された。

※富士通社長・田中達也氏の「私の課長時代」。後編「『分不相応』な大型商談を受注 中国人スタッフの優秀さに驚く」は記事下の【関連記事】からお読みいただけます。

 理系採用だったのでシステムエンジニア(SE)になるものと思っていました。理系採用者に営業を担当させる人事施策の最初の年で、その1人に選ばれたのです。富士通にとって製造業の最大顧客だった鉄鋼会社向けの営業部隊に入りました。営業のイロハを学んだのが毎週月曜夜に開かれる「課内会議」です。皆で出前を取って夕食を済ませたら、黒板に商談状況を書いて、担当者が順番に状況を説明していきます。

 「あの人には会いに行ったか」「こういう提案はしたのか」。厳しくも自由闊達な会議で、上司や先輩の指摘を聞くうちに営業で大事なことが少しずつ見えてきました。課内会議で学んだやり方を商談で試しながら、営業スタイルを身につけていきました。

 自信を得たのはコンピューター業界の巨人、米IBMのシステムを置き換える商談に勝ったときです。規模こそ小さなものでしたが、置き換えは営業の華。競合企業が主要なシステムを握っている顧客への営業をやってみたいという思いを強くしました。

■念願がかない別の会社の担当課に移った。

 1980年代後半、長期化していたある鉄鋼会社のスーパーコンピューター(スパコン)の商談を引き継ぐことになりました。スパコンを巡る日米摩擦が激化したころです。IBMなどの米国企業と競合しており、特に慎重に動く必要がありました。とはいえスパコンは技術系企業へのシステム納入の象徴でもあり落とすわけにはいきません。

 この商談では1人のキーパーソンとの関係が力になりました。前任の先輩から担当者として紹介された人で、富士通を理解してもらうため足しげく通い、一緒にジャズを聴きに行ったこともあります。スパコン導入が全社プロジェクトに移行してからその人は直接の担当を外れましたが、以降も良き理解者でした。

 日米両政府の動きを見ながらの商談だけに停滞した時期もありました。そんなときに相談をし「今は耐えるとき」と助言をもらったことも。結果、我々は良い提案ができスパコン「VP2200」を受注しました。正しい情報を持つ人に信頼してもらえるかどうかが勝敗を分けるという思いを強くした一件です。

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最終更新:6/18(日) 19:40
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