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甲子園のアイドルはクラスメート ベンツ日本社長、バンカラ早実に通ったワケ

6/20(火) 7:47配信

NIKKEI STYLE

 昨年、2年連続で輸入車販売1位となったメルセデス・ベンツ。好調を支えるのが、2012年に就任したメルセデス・ベンツ日本の上野金太郎社長(52)だ。長身でスポーツマンのようないでたちは、いかにも外資系企業のトップ。だが、多感な10代後半を過ごしたのは、バンカラな早稲田実業学校高等部(早実)だった。そこで上野氏が得たものとは。

 小中学校はアメリカンスクールに通った。

 生まれも育ちも日本で、ごく普通の日本人でしたが、破天荒でいささか風変わりな父の意向で、小学校から東京都内のアメリカンスクールに通いました。
 父は外資系企業で働いていましたが、特に英語ができたわけではないので、言葉の面で歯がゆい思いをしていたのではないでしょうか。私をアメリカンスクールに入れたのも、息子は同じ目に遭わせたくないという親心からだったのではないかと思います。
 しかし、私も母もそんな話は一度も聞かされていなかったので、小学校に上がる前に2人でランドセルを買いに行きました。家に戻ってきたら、父から「ランドセルなんて必要ないから返して来い」と命令され、仕方なく返品しに行ったことを覚えています。
 学校生活は、当然ながら、英語がわからず非常に苦労しました。アルファベットも読めない。周りの言っていることも、ちんぷんかんぷんでしたね。毎日、非常につらい思いをしました。
 でも、子供だから慣れるのもあっという間。2年生になると英語の問題はほぼなくなり、友達もたくさんできました。学校の近くには大使館がたくさんありました。その子弟も通っていました。インド人の友達とインド大使館でインドカレーを食べ、日本のカレーと違うことに驚いたり、外交官の家に遊びに行って、その広さに目を丸くしたり、楽しい日々を過ごしていました。

 ところが、途中で日本の中学校に転校、普通に高校受験することに。

 アメリカンスクールの8年目、日本の教育システムでいうと中学2年のある日、日本の中学校に転校する決心をしました。
 きっかけは、趣味のスロットカーで仲のよかった日本人の大人の方からの、「金ちゃん、外国人になりたいなら別だけど、日本に住むなら日本の学校に行った方がいいんじゃないの」という全く何気ない一言だったんです。なぜか心に留まり、父に転校の意思を伝えました。
 予想通り父は大反対しましたが、私は生まれて初めて父に自分の意思を押し通しました。すると父は、「それなら、高校は早稲田か慶応にしろ。だったら許してやる」と条件付きで容認したのです。
 後から考えれば、父は早稲田や慶応にこだわっていたわけではなく、少しでもいい高校に入れるよう一生懸命勉強しろという意味で、その時頭に浮かんだ学校名を口にしただけだったのではないかと思います。父は高校とか詳しくなかったでしょうから。
 しかし、私は父の言葉を真に受け、中学の先生からは「合格は無理だ」と言われながらも、早実を受けて合格しました。後から聞いた話ですが、早実の入学試験は英語の比重が高く、私にはラッキーでした。
 現在の早実は、東京の郊外の国分寺市に移り、校舎もきれいになり、男女共学にもなりましたが、私が在籍していたころの早実は、早稲田大学に隣接した古い街並みの中にあり、校舎も古く、夏には汗のにおいのぷんぷんする、典型的な昔の男子校の雰囲気でした。
 先生も熱血教師が多かった。先生たちの厳しい指導は、今なら問題になってしまうかもしれませんが、30年前はそれが当たり前の時代でした。

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最終更新:6/20(火) 7:47
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