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キリン社長、神戸でレストラン開くも結果は悲惨 赤字救った起死回生の策とは?

6/22(木) 12:03配信

NIKKEI STYLE

■神戸市の三宮にあるレストランをリニューアルオープンさせる

 キリンビールの布施孝之社長の「仕事人秘録」。今回はレストラン経営に打ち込んだ1980年代を振り返ります。
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 神戸支店の特販課時代の後半はレストランの経営に夢中になりました。「キリンビールの社員がレストラン経営なんて」と変に思われるかもしれません。理由はこういうことです。

 1987年、神戸支店の取引先の1つだった、三宮の阪急百貨店がやっている古いレストランを改装しようという話が持ち上がりました。広さは140坪(約460平方メートル)の地下街の店で、おじいさんとおばあさんのオアシスといった風情の店でした。ここを思い切って改装し、キリンと阪急百貨店が共同経営で20~30歳代をターゲットにした新しいタイプの店を経営しようということになったのです。

 その店の担当になったのが私でした。そうなると猛勉強です。キリンが出店していた東京・六本木のビアホール「ハートランド」、原宿の大皿料理店DOMAで店の切り盛りの仕方を一から教えてもらいました。

 そして88年4月、店がオープンします。名前は「Sunset通り」。看板は小さくし、お客さんが「自分がみつけた自分だけの店」と思ってくれるようにしました。口コミで広がっていくことを期待したのです。

 しかし散々でした。固定客からは見放され、新しい客は来てくれません。当然、赤字続きです。店の運営は神戸支店でしたから赤字は支店の負担です。最初は「まあ、仕方ないな」と笑っていた支店長も、段々不機嫌になってきて「チラシでもまけ」などと言ってくるようになりました。

 洗練されていることが店のコンセプトなのでチラシなんてまけません。思いついたのがサクラ作戦でした。神戸支店で働く20歳から30歳の女性に友達を連れてきてくれるようにお願いしたのです。時間帯も指定し、満席になるよう繁盛を「演出」しました。神戸支店の女性たちには「社員同士で口をきかないで」と、サクラであることがバレないよう万全を期しました。

 店が満席の状態を見て、お客さんは「繁盛しているんだ」と思い込みます。口コミでだんだん知られるようになり、半年ほどすると店も黒字がでるようになりました。

 こうなると店の経営が断然、面白くなる。神戸支店には出社せずに店に入り浸るようになりました。「会社に来ないであいつは何だ」。上司の評価は下がりました。ただ、お客さんとふれ合うことが楽しくてなりませんでした。

 ただこの時、キリンという会社には暗い影が忍び寄ってきていました。87年にアサヒビールが発売したスーパードライがすさまじい勢いでビール業界の勢力図を塗り替え始めていたのです。帰宅する途中、飲食店街の看板が次々とドミノのようにアサヒにかけ替えられていくのを見ながら「これは大変なことになってきたぞ」と思ったのでした。
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[日経産業新聞2016年7月28日付の記事を一部再構成]

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最終更新:6/22(木) 12:03
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