ここから本文です

フェイクニュースのあふる時代、ジャーナリズムが果たす役割は?

6/22(木) 12:20配信

WIRED.jp

ソーシャルメディアの登場によって、特定のニュースメディアが世論に対して影響力をもつ時代は終わった。フェイクニュースにあふれた「ポスト・トゥルース」の時代に、メディアビジネスはいかに変容し、ジャーナリズムはどんな危機に陥っているのか。『WIRED』US版統括エディター、ジェイソン・タンツが綴る。

【 100年前にフェイクニュースに闘いを挑んだ男 】

ニュースメディアは苦境に陥っている。広告を中心とするビジネスモデルは崩壊の瀬戸際にある。報道機関への信頼はかつてなく低くなっている。そしていま、これら2つの積年の問題に加え、さらに大きな危機が生じている。フェイクニュースとフィルターバブルに象徴されるポスト・トゥルースの時代、人々が自身のバイアスに合った情報や情報源だけを選び、それ以外のものに取り合わないなかで、ニュースメディアは世論を形成する力を失ってしまったように見える。

しかし30年前には、報道機関にあまりに強大な力があることが問題視されていたことを思い出してほしい。1988年、エドワード・ハーマンとノーム・チョムスキーは『マニュファクチャリング・コンセント』という共著書を発表し、米国のメディアは自由な国民的議論を妨げている、と論じた。

彼らの主張はこうだった──。ニュースを決定しているのは、大衆に影響を及ぼすことができる一握りのメディア企業である。それが大きな壁となっているために、規模の小さな独立系メディアは声をあげることができない。大手メディア企業のビジネスモデルはナショナルブランドの広告主に依存しているが、広告主は物議を醸しうる、あるいは不快に感じられる刊行物やニュースを支持しない傾向にある。そしてジャーナリストはハイクラスな情報源からの協力に頼っており、その共生関係ゆえに報道機関は反抗的なものを発表できない。結果として、「ニュースの素材は次々とフィルターを通過し、濾過された残留物だけが世に出ることになる」。その結果は偽のナショナルコンセンサスであり、中心から外れた事実、声、考えは無視される。

ハーマンとチョムスキーの批評から30年が経つなかで、ニュース業界のほぼすべての面が変わった。ナショナルブランドの広告は、コンテンツにかかわらず数千のサイトに広告を掲載するオートメーションシステムに取って代わられた。政治家はもはや人々に声を届けるのにジャーナリストに頼る必要がなく、Twitterで有権者に直接話しかけることができる。非主流派の考えや議論が、情報のメインストリームに入るのを妨げるものは何もない。そして、その拡散を妨げるものも。

こうした進展は、かつてジャーナリストを中道的なコンセンサスに向かわせていたビジネスロジックを覆した。全国放送のニュース番組が3つしかなかった時代、各番組が競い合っていたのは、最も多くの視聴者を引きつけ、できる限り視聴者を遠ざけないということだった。しかし、ニュースソースが無数にある現在、人々は自分の興味、信念、感情に最も訴えかけるものをフォローする。米国人の政治的意見の中心層にアピールする代わりに、熱意あるニッチ層を追いかけるメディアが増えてきている。メディア理論家のクレイ・シャーキーが言うように、“囚われの視聴者”を当てにすることはできず、常に新たな視聴者を捕らえなければならないのである。「引き継ぐというより、狩り集める」のだ。

1/2ページ

最終更新:6/22(木) 12:20
WIRED.jp

記事提供社からのご案内(外部サイト)

『WIRED Vol.29』

コンデナスト・ジャパン

2017年9月11日発売

630円(税込み)

『WIRED』VOL.29は1冊まるごとアフリカ大特集!「African freestyle ワイアード、アフリカにいく」南アフリカ、ルワンダ、ケニア etc